心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

辛さと苦しさのその先。

ここ暫く、体調を崩していた。

食欲もなく、倦怠感が体を覆い、

思考は纏まらず、歩くのすら辛い。


そんな状況が一週間ほど続いた後で、


ふと。


あ、今、あのお店の蕎麦が食べたい。


と思えるようになった。


そうすると、ただいつもの店でいつもの蕎麦を食べることが、この上なく有難くて幸せなことのように思える。


体調を崩していた時は何を見ても食べる気が起きず体力を回復させるためだけに食べ物を口にして美味しいとも思えず咀嚼する。


それに比べたら、食べたいと思えるものがあって、それを実際に食べることが出来て、それを美味しいと思えることが、当たり前のことではなくてとても有難くて幸せなことなのだと気付ける。


いつも当たり前に享受出来ていることが当たり前ではないのだと、気付くことが出来るのは、まさに体調を崩すという非日常があってこそのもの。


仕事が忙しくて早朝から会社に出社し日付が変わってから帰るということを繰り返していた頃、ただ定時に帰れて太陽が空にあるうちに自宅への道のりを歩いていることに心から感動して喜んだように、当たり前のことが当たり前ではなくて有難いことなのだと気づかせてくれるのは、いつも辛いことや苦しいことが明けたその瞬間で。


それはまた日常が戻ってきたら忘れてしまう類のものだけれど、その辛さ苦しさがないと気づけないものや分からないことがあるということを、その渦中から抜けるたびに思う。


楽しいこと嬉しいこと幸せなことから学ぶことは多い。気付くことは多い。でもそれと同じだけ辛いことや苦しいことから学ぶことや、気付くことも多い。


もちろん、辛いことや苦しいことなんて少ない方が人生は幸せだし、あえてその中に自分を投じた方がいいかと言われると全くそんなことはないと思うけれど。


でも、渦中では気づけないことを、過ぎ去ったその時に気づかせてもらえて何かを得させてくれることも間違いはなく。


渦中にいる時は余裕がなくてそうは思えないことも多いけれど。

終わると、ああ、ただ有難いなあと思える日がやってくる。


だからまあ、今この時も大丈夫なのだ、といつもどこかで確信できているといいのだろうな、とそんなことを思った病み上がりの昼。

f:id:kayamy:20180915222257j:plain