心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

出来ている⇔出来ていない。自分の評価と実際と。その差に気づくことが第一歩。

したくない、と思っていることこそ

実は誰かにしていたりするものだし、


出来ている、と思っていることこそ

実は出来ていなかったりするものだ。


これらは自己否定ではなくて

気付くことで前へ進めるということ。


だから、気付かせてくれる存在が有難い。

まあ、その瞬間はめっちゃ痛いわけですが。


気付かなければその場所に止まり続けるから。


気付いて、修正したければ修正して、

追加したければ追加して、前へ進む。


あと、ふと思ったこと。


誰かの言う愚痴や悪口に

自分が影響されないように、

その人が言っていることや

やっていることなどの意味を

自分の中で変換することと、


その人自身に対して、

「それは違う」と否定することは、

まったく別のことだ。


わたし自身が思っていることを、

その人自身に納得してもらったり、

あまつさえ、説得する必要などない。


特に、その人自身が望んでいない時に。


その人が納得するかどうかと、

わたし自身の想いとの間には、

なんら関係性はありはしない。


誰かに納得してもらおうが、

納得してもらえなかろうが、

わたしの想いは変わらない。


しかも、他人は変えられないのだし。


だから、さらさらと水のように流すか、

その水の濁りを自分の中で浄化するか。


それだけのこと。


あなたの水の流れも綺麗にして、

とそんなことを頼む必要はない。


わたしの水とその人の水は、

同じように見えて違うのだから。


そもそも、わたしの「綺麗」と

その人の「綺麗」は一致しない。


だから、誰かに何かを望むことは、

意図せずに否定と押し付けになる。


ひとりひとりが、

自分の源流を持っていて、

その水の流れをどう保つかは、

その人次第でその人にしか触れない。


その人の水の流れがどうであれ、

わたしの水の流れとは関係ない。


ただ、その人の周りに流れる水流のひとつとして、

自分の水を美しくしたら、何か良い影響を与えられるかも。


とかその程度のこと。


なんとなく、見えたような気がしたのでメモ。

もしかしたらまた変わるかもしれないけれど。


わたしはずっと、意識することなく、

否定と押し付けを繰り返していたから。

これからは全部受け止めていきたい。


本当に自分のことは見えていなくて。

大切にしたいことが大切に出来てなかったり、

出来てると思っていることが出来てなかったり。


そんなことって本当にもう、いっぱいある。


だからこそ、気づかせてもらえることが有難い。


毎日毎日、気付かせてもらえる。

意図してのものも意図せずのものも。


少しずつでも進み続けていきたい。

理想に近づいていきたいなあと思う、

そんな今日この頃なのでありました。