心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

大地之節供まつり。ここで出逢い談らふことの意味。

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旧暦6月6日。


年の半分が終わる頃。

偶数月の、真ん中で。


行われるは大地之節供まつり。


天之節供は連綿と過去より続く。

奇数月にはあの世とこの世が近くなり、

命をこの世に留めるために祭りを行った。


1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日。


安定している偶数月には祭りは行われないけれど。


天の月に繋がるのが神であり現在。

地の月に繋がるのは人であり過去。


天と地を繋ぎそうして未来を拓く。


天を祭るのならそうだ地も祭ろう。


天の節供と地の節供。二つで揃う。


地の節供は過去を先祖を祭るもの。


ここにいるわたしは過去から続く。


大地は命を養うもので、命の土台。


命は父母から先祖から続く繋がり。


その過去を節目の時を誰かと共に。

 

 

この会の主賓のひとり、井戸さんは言う。


人がこの世から消えるのは縁が薄くなるからだと。


今ここにいることを、あのときあの場にいたことを、


そこに、誰も居合わせなかったならば談れはしない。


わたしたちは人の間で存在を認められ存在を強固にする。


誰も認識しないひとりの時間はわたしが消えれば消える。


それを伝える者が談らひ合う者がいないから。


語るとは吾がことを話すことではない。


語るとは談る。


談合とは談り合うこと。


燃え盛る炎のように、国の未来を考えさかんに談る。


それこそが、本来の談合だった。 

 

 

例えば。

 

ここに箱がある。中に猫がいる。

猫は自分が箱の中にいることを知っている。


けれど、誰もその箱の中を開けなければ、

猫が箱の中にいることは誰も知らないまま。


猫がそのまま箱の中で息絶えても、

猫が死んだことも、ましてや生きていたことも、

決して認識はされないままなのだ。


猫は確かに自分がここにいたことを知っていたのに。


もし誰かひとりが箱を開けて猫を見たとしても、

その人が亡くなれば猫がいた事実も消え失せる。


わたしたちは人の出会いの縁の中で生きている。

地縁血縁が薄れるこの世の中で、この日ここで

出会えたことがいかに奇跡で素晴らしいことか。


だから、この縁をこの出会いを、大切にしよう。


この特別なこの日にこの場で会えたことは奇跡。


食べ談らひ繋がり合って、縁を強くしていこう。

  

  

ふと、思ったことがある。


どんなに素晴らしいことを言っていても、

どんなに素晴らしい理想を持っていても、


吾がことを語っているならば、

きっとそれは人の心には届かない。


届いても、おのずと限界がやってくる。


素晴らしい能力が夢が事象が事実でも、

自分を満たしたいと思って語っているのなら、

それは未来のために、社会のために談ってはいない。


言葉は炎とならない。

人に熱は届かないのだ。


だから自分を満たすことが先なのだなと。

そうでなければ「わたしを見て」が先行する。


うん、だからやっぱり、

ここを本当に乗り越えないと、

伝えるところまで行けないなあ。


改めて、今やるべきことを確認した時間。

 

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そして忘れてはなりません。めちゃ大事な食事。

 

この日に頂いたごはんもとっても美味しかった。


美味しいごはんがあるところには会話が生まれる。


美味しいごはんがご縁を作るしそれを繋ぎ続ける。


昔ながらのお釜、羽釜でじっくり炊かれたごはん。


丁寧に育てられた、自然栽培米「にほんばれ」は


あっさりして、いくらでも食べられる美味しさで。


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お蕎麦はなんとよもぎが練りこまれているという。


もちもちの食感に不思議な美味しさは、癖になる。


とっても美味しいごはんをありがとうございます。

 

 

あと一回くらい、続きます。


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