心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

わたしが仕事で怒らない理由。怒りには現状をプラスに変える効用が殆どないからだ。

わたしは仕事をするときに、

どんなに仕事が出来なくても、

基本的に怒ったりはしない。


それは、ある種の諦めだと思っていたけれど。


ただ仕事で最もパフォーマンスを上げるために、

それが一番合理的だと、有効だと判断していただけだった。


それはある種、とても冷酷な考え方のようで、

わたしの気持ちを少し落ち込ませもしたけれど、

よく考えてみてもそれが最良の手段だと結論が出る。


仕事が出来ないのは、

若い年代でないのであれば、

その人が過ごしてきた環境のせいでもある。


人には向き不向きがあり、

必ずその人が輝く場所がある。


だから、その場所で成果を積み重ねながら

自信を付けて自分なりの特性を磨いていくのがいい。


けれど、わたしたちは自分に何が向いているか知らない。

向いている場所に配属されるかどうかも運でしかない。


向いていないのか、自分の努力が足りないのか、

性格的な問題なのか、わからないままに頑張る。


けれど成果が出ない。絶望する。どうでもよくなる。


そんな経過を辿っている人も多いのではないか。


もちろん、上司や同僚に恵まれて、

自分なりのやり方や個性を磨いていく人もいる。


けれど、そうは出来なかった人もいる。


それは、その人のせいだろうか。怠慢だろうか。

その人を怒って罵倒してそれで解決するのだろうか。


もちろん、性格的にどうこうといった話はあるにせよ。


ある程度年齢を重ねると、臆病になる。

自分を守りたくなる。

傷ついた時に、それを治癒する能力が衰えているから。


怒りは、対象となるものの否定である。

けれど、対象者はその否定を受け取れるほどに強くない。


だからこそ、反発し、いじけ、無視し、諦める。


これではまったくプラスの効果をもたらすことはない。

怒りには、現状を好転させる力はほとんどない。


もちろん、怒りを受け止め自分の血肉にすることが

出来る者であれば話はまったく変わってくるけれども。


けれど、そういった者は勝手に学び、成長していく。


だれに、なにを、どれくらい期待するか。 

そのために、どれだけの労力をかけられるか。


仕事を完成させることが最重要項目である中で、

どこまでその人に真摯に寄り添えるかを考えた時、

自ずとそこには限界がある、どうしても。どうしても。


怒りが短期的な服従や諦め、

反発しか引き起こさないのであれば、

それを易々と使うべきではないだろう。


仕事をしている以上、

苛立つことも辛いこともたくさんある。


けれど、それを他者にぶつけることは、

今の仕事のクオリティも、今後のクオリティも落とす。


先を見ずに、目先の感情に振り回されて、

怒りをぶつけるのだとしたら、いい仕事は出来ない。


一度放たれた言葉は戻らない。


一度壊した人間関係は修復に多大な時間がかかる。



怒りは一瞬で目の前にあるものを壊すことがある。



だからこそ、使うなら必要最小限に、冷静に。


だからこそ、わたしは滅多に仕事で怒らない。


それが合理的な判断の帰結であるからだ。