心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

ことばのちから。

言葉がひとを作る。

言葉が環境を作る。
言葉が世界を作る。

たくさんの人に触れ、学ぶ中で、
わたしはそう思うようになった。

日本人として、この社会で生きている限り、
わたしたちは言葉によって表現し、理解し、
伝え受け取りそれを蓄積し発展させていく。

わたしたちは、
言葉にすることで、
言葉を作ることで、
自分を世界を発見し、構築していく。

わたしは、中国に行ったことはない。
けれど中国がどんな国かを知っている。

わたしたちが知っていると思っているもの、
その実態を掴んでいると思っているものの、

そのうちどれだけが、
自分の生身の経験に基づいている、
と、言えるだろうか。

昔読んだ本の、
テレビの番組の、
友人からの伝聞の。


言葉がなければわたしたちの世界は驚くほどに狭い。

そして。

言葉がなければわたしたちは自分を世界を認識できない。


鳥はその名が与えられたその時に
その他数多ある動物から峻別され、
「鳥」という個体になり理解される。

「あの鳥を捕まえて」

という会話は、
鳥にその名が与えられ、
そのものが「鳥」なのだという
認識が共有されて初めて成り立つ。


理解することは、切り離すこと。
あれとこれとは異なり、自分と他者とは違うと。


けれど。


言葉はその切り離す力の強さゆえに、
時に世界を単純化し、複雑さ曖昧さを失わせる。

だからわたしは言葉が万能だと、
言葉がすべてだとは、思わない。


言葉で表現しきれないもののために、
歌があり音があり波があり絵があり書があり味がある。


それらはすべて、同列で。
この世界に存在している以上、
等しく尊く大切な世界のかけら。


数多ある中で、わたしが心惹かれたのが
言葉だった、写真だった、それだけのこと。


人にはそれぞれ役割があり、
人にはそれぞれ才能がある。


それを活かしてこの世を彩り豊かに楽しく鮮やかにする。


それがわたしたちの使命なんじゃないか、と思う。


人生は、楽しむためにある。
苦しむことすら、その先の更なる楽しみのため。


その楽しみ方の、
選択が、やり方が。
ひとりひとり違う、と。
それだけのこと。きっと。


だから、なにがあっても楽しめばいいと思う。
失敗も、挫折も、方向転換も、すべて、すべて。

もちろん、その渦中にいるときはたくさん苦しんで。

漆黒の暗闇の中で苦しみ抜いて僅かな光を見出して。
その光を拠り所に、さらに光溢れる場所に辿り着く。

それを信じてただただ、進むのだ。
周りからどう見えていようとも、自分の道を。