心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

坂本貴光「生まれたところ」

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その作品を見たとき、
わたしは何を見ているのだろうと思った。

これは、なんだろう、と。

黒と、金。

長方形の、二枚の紙が、展示されていた。


坂本貴光氏は写真家だ。


わたしは、写真を見にきたつもりだった。


けれど。


そこにあったのは、二枚の紙、だった。


漆喰、と言えば伝わるだろうか。

壁一面の漆喰を黒で塗り潰し、
そしてもう一面を金で塗り潰し。
そこから紙一枚分を切り取って剥がして、
額装して備え付けた、そんな作品。

ただ、違う色を塗っただけのように思えるのに。


そのふたつは、決定的に違った。


黒の一枚は、生と死。現実だった。

目の前に立った瞬間に吸い込まれるような。

目にしたその瞬間、何故か涙が溢れそうになる。

一面の黒は、死の連なりだった。

砂の一粒一粒に、人の命がある。

その中に、きらきらと光るもの。

ほんの僅かなそれが、生だった。

無数の死の中に煌めく僅かな生。


それは、わたしたちの生きる世界だった。

現実だった。無数の死に支えられて、生は在る。

この世に産まれる時、
わたしたちは瞼を開き、光の世界を知る。

この世から去る時、
わたしたちは瞼を閉じて暗闇に還っていく。


産まれるまでの暗闇と、死んだ後の暗闇と。


それはどこか特別な世界で。
決して垣間見ることの出来ないような。


けれど、わたしたちは常に瞬きをしている。
生と死の世界を、何度も何度も往復しているのだ。

そして、眠るたびに、
産まれる前の、死んだ後の世界に還っていく。

その合間の一瞬一瞬で、
わたしたちは生きている。

暗闇と、光。

どちらが現実で、どちらが虚構だろうか。

瞼を閉じて、また開いたその世界は同じだろうか。

眠りに就いて、目を覚ました後の世界は同じだろうか。


暗闇と、光。


真っ暗な、その一面の中でこそ、
わずかな光はその存在を明らかにする。


光の中で、光は見えないのだ。


わたしたちは、闇の中で生きている。

わたしたちは、闇の中の、
一瞬の光を、現実を、生きている。



金の一枚は、極楽浄土。虚構だった。

目の前に立った瞬間に、自分が開いていくような。

世界が拡大して、その金の世界に誘われるような。

金の世界の中には、光はなかった。

いや、確かにあるけれど、
目を凝らさなければ、その光は捉えられなかった。

金で、光で、塗りつぶされたどこにも闇のない世界。
それが、虚構であり、幻想の世界であるということ。


光は均一ではなく、その濃淡をわたしの前に提示した。

それは、ひとりひとりの思う
幻想の世界の違いを顕しているようだった。

この金の光の中に
ある人は如来を見て、
ある人は神を見るのだろう。

まだらな光は、わたしたちに想像の自由を許す。

どこまでも、どこまでも、光に溢れた世界。

どこまでも、どこまでも、喜びに満ちた世界。

この金で彩られた世界の向こうに、
わたしたちは自由に自分の想像を遊ばせる。

砂の一粒一粒は、
神であり、如来であり、
天使であり、菩薩だった。

慈愛にあふれる、ただ光だけが満ちる世界。


けれど、わたしはこの世界よりも、
漆黒の、現実を、見据えていたい。


光の世界はとても魅惑的で、
その中に全てを委ねたくなるけれど。


わたしは、死があふれる現実の中で、
僅かな生の煌めきを捉えて生きていきたいのだ。


ただただ光に溢れた美しい世界は素晴らしい。

けれど、光だけではわたしは満ち足りることはない。


深く、深く、
死の世界に潜り。

どこまでも、
漆黒の中に沈み。

その上で、見る光。

それこそが、極上のものだと思うからだ。


それは、極楽浄土の誘惑を振り切って余りある。


人が、現実の世界でしか手に入れることが出来ない、
なによりも尊く、なによりも美しいもの。


フォト・ヨコハマ
坂本貴光「生まれたところ」
会期:2/27〜3/27(予定)
会場:ブリリアショートショートシアター フィルミー2階