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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

ピタゴラスイーツ。友紀さんの生チョコレート。シンプルだからこそ、すべてがそこに現れる。

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生チョコレート。



チョコレートを切って、溶かして、混ぜて、固める。


ごくごくシンプルな、その手順。


簡単で単純だからこそ、


その中に、すべてがある気がした。




料理はその人のこころを写し出す。


もしかしたら、うまくいかないんじゃないか。


そんな不安が、「その時」を見失わせる。


ちょうどいい、温度を。


ちょうどいい、粘度を。


そして。


「その時」を過ぎてしまった素材たちは、


合わさることなく分離していく。


早めに気付けば形を整えることは出来るけど。


それでも理想の姿とは程遠く。


なんとかまとまった、という状態になるだけ。




お菓子作りはある意味でとっても非情。


まったく違う素材を混ぜて合わせて化学反応を起こし、


ぜんぜん違う、新たなもの、をこの世に生み出すから。


「その時」を見失うと、

素材たちは何ものにもなれなくなってしまう。



今ここ、に集中して。

自分を信じて。

その時、を感じる。


シンプルだからこそ、


その時を逃したら、


もう戻ることは出来ない。


目の前の素材に向き合ったか。

素材を丁寧に扱ったか。

自分を信じたか。


シンプルだからこそ、

複雑な工程に紛れることなく

ただただまっすぐに、素直に。

それが、結果として見えてしまう。


もちろん、初めてやる時には不安もある。


だからこそ、その不安がお菓子に現れやすい。


まとまるものがまとまらず、

どこかばらばらの部分が残る。


そこには、心の状態がそのまま映し出される。


誤魔化しがきかない。


それがお菓子作りなのだと思う。



多分、毎日お菓子を作り続ければ、

自分の心の状態が見えるんだろう。


出来上がったお菓子は、

きっと雄弁にわたしたちの心を語る。



トントントン、とチョコレートを刻む音。


ひとりひとりが音もリズムも大きさも違う。

切られたチョコレートの形も。

ひとりひとりの心を写す刻む音と。
刻まれていく、チョコレートの山。

チョコレートを刻んでいても、

すっ、と包丁が通る切り方と、

包丁が引っかかる切り方がある。

同じように刻んでいるつもりでも、

チョコレートには、素材には、

この方向に切ってほしい、

という

形や場所があるのだろう。


素材は語る。無言で。

この方向に切ってもらえると一番いい。

これくらいの温度まで温めると一番いい。

音や触感や泡で。

彼らはわたしたちに最良の「その時」を教えてくれる。


多くの場合、

わたしたちはそれを見逃したり、

聞き逃したりしてしまう。


教えてくれているのに。


わたしたちは、

お菓子作りを、

料理を通して、


自分を信じる力


を学んでいるような気がする。



何分経ったら、

何度で温めたら、

何等分に切ったら、


それはあくまで目安でしかなくて。


温度も湿度も自分の体調も素材のコンディションも。


すべてが毎回違う中で、自分で決めていく必要がある。


自分を信じて、自分の感覚に従って、


「その時」を見極めていく。


その、繰り返し。


その、繰り返しで、


わたしたちは自分を、素材を信じていくのかもしれない。


この繰り返しに終わりはない。


すべては、その時限りのもの。


すべては刻々と変化していくものだから。


今回使われたチョコレートは、


一種類のカカオからのみ作られたもの。


ブレンドしないから、毎年毎年、味が違う。


生チョコレートのレシピも毎年毎年変わる。


料理って、お菓子作りって、そういうもの。


レシピの通りに毎年毎年春夏秋冬、 

いつでも同じように作っていたら。


その素材の最高の味を引き出すことは出来ない。



うまくまとまらなかったチョコレートを見て、


わたしは自分の心の状態を知ったような気がした。


これから向き合うべき課題を、

つるりと浮いたチョコレートから、

教えてもらったような気がしたのだ。



試食で食べた友紀さんが作ったチョコレートは、

ほどよい甘さで柔らかくて優しくて美味しくて。

いろんなものがほどけて溶けてゆくみたいだと。

やっぱり友紀さんが作ったお菓子とこの空間が、

すごくすごく好きだなあと心から思うのでした。


初めて出会った時からずっと変わることなく

わたしを幸せにする、友紀さんのスイーツ。

スイーツを、ひとくち食べたあの瞬間の、

なんとも言えない幸福感に包まれた時間。

きっと一生忘れることはないだろうと思い。

今もまだあの衝撃は舌に残っている気がする。


友紀さんのスイーツクラスは東京にもあるけれど。


なぜか、東京のクラスではなくてここがいい。


この熱田神宮の前の気持ちのいいアトリエで。


心地よい人たちに囲まれて作る、この時間が。


わたしにとってはとても大切で愛おしい時間。




今日はいつものカメラを持っていないから。


わたしはずっとこの空間を聴いて、感じていた。


ひとつひとつの音を、丁寧に聴く時間はまた豊かだった。


カメラを構えていたら見過ごすものもある。


それを知った時間でもあったけれど。


わたしはファインダーを通した世界を求めていて。


カメラを持っていなかったからこそ、

どれだけ自分がファインダーを通した

向こう側の世界に焦がれているのか。


そんなことを知れた時間にもなったのでした。


あの、一粒のチョコレートの美しさを、

友紀さんの所作の、佇まいの美しさを、

ひとりひとりの真剣な眼差しを指先を。

カメラに収めたくて、仕方がなかった。


iPhoneのカメラでも写真は撮れる、けれど。


でも、わたしにとって、


ファインダーを通した世界は別物なのだと。



そんなことにも気付いた時間でした。


友紀さん、千恵さん、この日出会ったみなさま。


素晴らしい、本当に素晴らしい時間をありがとうございます。