読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

書くこと、撮ること。楽しいというよりも。ただその世界に没頭する時間。

わたしにとっての「書くこと」「撮ること」

わたしが書くこと、撮ることが好きなことは事実だ。
けれど、わたしはその間に、楽しい、嬉しい、ワクワクする!
といった気持ちを感じてはいないのだ、実のところ。

書いている時も、撮っている時も、
わたしの心はひたすらに静かだ。
ただ、対象物に、被写体に、集中している。

書いている時は、ただ浮かぶ言葉を打ち込むだけ。
それはまるで単なる作業のように淡々としている。

撮っている時は、ひたすら最も輝く瞬間を、
その人自身が持っている、最も美しい光を、
捉えるために、ただ被写体に集中している。


どちらも、高揚とは程遠い心境の中にある。


だからこそ、
わたしにとって書くことは呼吸で。
撮ることは見つめることでしかない。


書くときも、撮るときも、
何かのスイッチが入っているのだと思う。

ぱちん、と音がして。
わたしの世界が言葉と被写体だけになる。


そんな、感覚。


だから、好きだとか楽しいとか、
そういうレベルでは、語れない。


本当に心が震えた時は、
言葉が溢れて止まらなくなって、
それをどうにかして書き留めなければ、
とそれだけを思う。


書きたくてたまらない、
書かざるを得ない、
そんな、感覚。


そこにあるのは、
震えた心と溢れる言葉、
それが消える前に留めたい、
という焦燥感だけなのだ。


楽しい嬉しいワクワクする、なら。


美味しいご飯を食べて、
大好きな人と語らう時間こそが、
わたしにとって一番楽しくて幸せな時間。


好きなこと、と、やりたいこと、は違う。


そういうことか、となんとなく、腑に落ちた。


そして、きっと、たとえどうなったとしても。

わたしは書き続け、撮り続けるだろう。

それは、わたしにとって自分の人生を生きることだから。