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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

様々な人に会い、その人について思うままに書くこと。ただのおっかけかミーハーか。それでもいい。

わたしは、わたしが出会い、触れ、心震えた人、物、場のことを、日々綴っている。

それがただただ「凄い人」を追いかけて、「凄い人」に近づけたかのように思い込む、

まるで自分が無くてふわふわと「凄い人探し」をしているように見えるのであれば、

それはそれでいいと思う。そういう風に見えるだろうなと思っているところもある。

 

し、そう思われていてもいいか、とも思っている。

わたしが書く文章に触れて、その人がどう感じるかはその人の自由だ。

わたしが、わたしが触れたものに対して自由に書くように。

 

わたしが自由に対象物について書く以上、わたしの文章を読んだ人の感じる自由も認めたい。

否定でも、揶揄でも、嘲りでも、なんでも。

そして、そこから学び取れることがあるのであれば、糧にできることがあるのであれば、それを得たい。

 

わたしは何かに触れて心震えた時に言葉が湧き上がってくる。

それを、そのままキーボードにただ打ち込んでいるだけのこと。

そこには多分なんにもない。わたしの素直な感覚だけがあるのだ。

 

それに、実際のところ、わたしは「凄い人」「凄い物」に会うのが好きだ。

素晴らしい生き方をしている人、考え方をしている人、素晴らしい写真、絵画、感動する料理、空間…。

人に限らず物に限らずこの世界にあるすべての素晴らしいものに出会いたいし、触れたいし、感じたい。

 

それは、有名、無名関わらず。

誰かがその人のことを凄いと言っているかどうかも関係なく。

 

わたしの心が「あ、この人が気になる」と感じるかどうかだけ。

 

生きている以上、より素晴らしい人に、より素晴らしい物に、景色に、表現に出逢いたいと思うのは、とても自然な欲求だ。

そして、より素晴らしい人に、物に、景色に、表現に出逢えるのは、自分が成長したから、世界がより遠くまで見えるようになったからこそ。

 

自分の世界が広がらなければ、素晴らしい人も、物も、景色も、表現も、見えないから。

もし、出逢ったとしても、その本当の素晴らしさに気付くことが出来ないから。

 

だから、わたしは例えミーハーだと言われようとも、移り気だと思われようとも、自分にとって心震える何か、に出逢い続けたいし、触れ続けたい。

 

それがわたしの世界を広げることであり、わたしが書く文章をより豊かにするものだから。

よりいっそう深く、まっすぐに、純粋にそのものを感じることができたら。

それをよりいっそう、美しく、透明に、その本質を綴ることができたら。

 

それはとてもとても、幸福な未来の形のような気がするのだ。


ただ、まあ、こんなことを書いている時点で気にしていたりするのかもしれないけれど。

それを、本当に、無視していることにも気づかないくらい、自然に、何ひとつ囚われなくなると、いいと思う。