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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

わたしにとっての仕事とは。

なぜ、わたしが今の仕事とのご縁をもう終わらせるべきだと考えたのか、それを思い出していた。



どこに向かうか、何をするかがよくわからなくなって見えなくなって、そういえば原点はどこだったかと。


そんなことを日々考えていて。


知っていたけれど、改めて思い出したこと。



わたしは、今の職場で、人生における最も大きな荒波を乗り越えて、そうして、この場所にいる意味を見失ったのだった。


乗り越えたその先には、より一層の強い繋がりが待っていたのではなく、決別が待っていた。



わたしが、今の職場を離れなければ、と思った理由。



それは、



この仕事に命を懸けられない自分を知った、


からだ。




わたしにとっての仕事とは、ずっと長い間そういうものだった。命を削って、必死にやって、それでも結果が出なかったことの方が多い。その必死さも、今思えば多くの無駄と誤解とエゴと自己満足に満ちていた。



どこにいても、何をしていても、わたしは全力で目の前のことに取り組む。そういう姿勢で仕事をしてきた。もちろん出来ていないことも不足していたことも語りつくせぬほどにあるけれども。



けれど、どうしたことか、ある時からそれが出来なくなった。からだが、こころが動かなくなって、わたしは自分を誤魔化すことが出来なくなったことを知った。


例え対象が何であろうとも、遮二無二、我武者羅に動き続け、進み続けることは、その対象が本当に自分の本質に沿うものか、自分の心からの願いに沿うものかという問いを打ち捨ててこそ、出来たことだったのだ。


自分の心と向き合い続けていたと思い込んでいたけれど、本当に大切な、自分の本質からは目を背け続けていた日々の中で、結局のところ、わたしはエネルギー切れを起こしたのだろう。


火元がないところに、無理やりなんとか燃料を投下し続けて、それが尽きた、というよりは。


それをする意味がもうないのだ、ということに気付いてしまった。燃料を投下するだけの気力がなくなってしまったのだ。


だから、わたしは今、自分の火元を確認している。
燃料を外から持ってくるのではなく。自分の内側に燻る火を、確認しているのだ。


ずっと無視し続けいたから、その火はもはやかすかなものになってしまっているのかもしれないけれど。

それでも、誰にだって火はある。

だから、それを探して、その火を自分の力で燃え上がらせること。そのためにこそ、力を使うべきだということ。


このタイミングで、決して自分を誤魔化したくはない。例え、生きるために働くのだとしても、その先に自分の未来を見つめていたい。


その先に、何かが繋がるものに関わり続けたい。


結局、わたしは一生を仕事に捧げるのだと思う。


わたしにとって、仕事をすることは生きることだ。


それは、書くこととはまた違う。
書くことは、わたしにとって呼吸すること。
それはもう、わたしの人生に自然に寄り添うこと。

けれど。

仕事をすることは、わたしにとって、「生きている」ということを実感することだから。


仕事をする中で、ぎりぎりの状態に置かれる中で、「ああ、わたしは今、生きている」と感じる自分がいる。
辛くて苦しくて逃げ出したいと思っていてすら、どこかその状況の自分を楽しみ、歓び、恍惚とした気持ちになる自分がいるのだ。


死に近づくことは、生を感じること。


わたしは、仕事を全力でやることによって、その境地を見たいのかもしれない。

ぎりぎりまで、自分の全力を使って、命を燃やして生きている、と。その感覚をもう一度取り戻したいのかもしれない。