心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

わたしにとっての世界への恩返し。

わたしは、常に行動し続け、触れ続け、感じ続けることを望む。

わたしにとって、わたしの外側にある素晴らしい世界に触れないことは、死を意味する。

 

だから、わたしは自宅での時間を嫌う。

 

そこには、何の新しい刺激もないからだ。

 

そこには、停滞だけがあるように思うからだ。

 

わたしは、「常に何かをしていたい」。「常に何かに触れていたい」。

 

もちろん、エネルギー切れを起こすこともあるけれど。

 

わたしにとって、わたしの世界を色鮮やかにするのは、わたしの周りにある、まだ触れていない素晴らしいものすべて。

 

わたしは自分の中から何かを生み出すわけではなくて、何かに触れることでその反動で生み出す人間だ。今は。

 

だから、わたしは出会い続けなければならない。わたしの周りに広がる素晴らしい世界に。人に。物に。

 

そして心を震わせ続けることで、生まれるものがある。広がるものがある。

 

その世界を見続けることを、触れ続けることを、表現し続けることを、わたしは望む。

 

 

そのために絶対的に必要なのが、時間とお金。

 

素晴らしいものに触れるためには移動する必要がある。

 

素晴らしいものに触れるのであれば、それにふさわしい対価を払う必要がある。

 

それは、相手が対価を求めるか否かとは全く関係がなく。

 

素晴らしい世界に触れされてくれたその人に、わたしが対価を支払いたいということ。

 

時間とお金。

 

 

それを手に入れよう。

 

 

そして、素晴らしい人たちに触れ続けることが出来る環境を構築していこう。

 

すぐに、ではなくとも。

 

まるで、遠回りをしているようでも。

 

そんな環境を構築するために、行動し続ける。

 

素晴らしい人に、物に、世界に触れ続け、感じ続け、受け取り続け、それを世界に発信し続ける。

 

 

そんな場を作ろう。

 

 

わたしにとって、大切な価値観は「美しいもの」。

 

 

楽しいことも、ワクワクすることも、笑顔も、もちろんとてもとても大切だ。

 

 

けれど、それ以上に大切な価値観は「美しい」ということ。

 

 

それは、いわゆる形としての美しさだけではない。

 

 

わたしにとって美しいとは、本質的であること。研ぎ澄まされていること。

 

 

だから、それを満たしているのであれば、「漫才」もまた美しいと思う。

 

 

わたしは、一般的に「美しい」かどうかで語られるもののことを指しているわけではない。

 

 

 

わたしが、「美しい」と思うかどうか。

 

 

それだけが、わたしにとって大切なこと。

 

 

わたしの周りにいるすべてのひとが「それ」を美しいと語ったとしても、わたしが「それ」を美しいと感じることができなければ、意味がない。

 

 

その、「美しい」と感じるものに、触れ続けることを、わたしは幸福だと思う。

 

 

そして、そこから生み出される自分の文章を見ることを、とても心地よいと思う。

 

 

そうやって、自分が「美しい」と感じるものに、出逢い続け、触れ続け、感じ続け、表現し続けること。

 

 

いまここにある美しくも愛おしい世界を表現し続けたいと。

 

 

この世界は、とても美しく、愛おしい。

 

 

数多の混沌や闇を内包していてもなお。

 

 

それが、わたしに幸せを与え続けてくれるこの世界への、恩返しであるようにも思うのだ。

 

 

 

 

そのために、わたしは生きていきたい。


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