心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

傷みを受け入れ、さよならを認める。

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ふと、ようやく気付く。



わたしは傷んでいたのか、と。


わたしは、ずっと、きっと、傷付いていたのだ。


だから、まるでどこかが停滞していて流れが滞っているような、そんな感覚を覚えていた。


それだけが理由ではないかもしれないけれど。


わたしは、自分の傷みにとても鈍感だ。


少し傷んでも、それを無視して進めてしまう。


そして、たちの悪いことに、気付かないふりをしてしまう。


自分ですら、ごまかしてしまうのだ。


そうして、気付くのがどんどんと遅れていって、理由なく身体が動かなくなって、気付く。


疲弊しているのは、身体ではなく心だと。


けれどこんな風になるのは、久しぶりで。


もう、そういう自分は卒業していると思っていたから驚く。



何度も何度も繰り返し、こうして同じ課題に向き合って、そうして少しずつ、課題をうまくクリア出来るようになっていくのだろう。


螺旋階段を少しずつ、少しずつ登るように。



イムリミットはどんどんと近付いてくる。


猶予が、確実に消えていくのを感じている。



それでも、わたしは今休むべきだ、と思う。



時間に追われ、気持ちが伴わず、ただ焦りを原動力に進んだとしても、結果はきっと想像通りだ。


わたしは、悲しむ必要があるし、辛いと感じる自分を認める必要がある。


そして、その上で、お別れを言うべき人に、お別れを言わなければならないのだ。



もし。


今度ご飯に行こうよ、と声をかけられて、一瞬でも怯むなら、それはもう、終わりにするべき関係なのだと思うから。


終わりにしなくても、距離を置くべき関係なのだと思うから。



また、再び会う日まで。