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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

ご縁を大切にするために、お金と友好な関係を築きたい。

昨年とってもお世話になった、新年のご挨拶をしたかったお店に行って。


年始にやろうと思っていたことは大体ひと段落して。

バーのマスターに「また来てね」と言われて。バーで居合わせた素敵な人から自分の店に「また来てね」と言われて。


当たり前だけれど、お金と時間がなければ「また」はないんだなあと思う。


素晴らしいご縁が繋がって、この人とまた会いたい、この人のお店に、この人のサービスに触れたいと思ったとしても、お金と時間がなければそれは叶わない。


大切なのはお金だけじゃないのはその通りだけれど、お金がなければ大切に想うその人が心を込めて作っている場に行けないし、物も買えない。応援したいなあって思っても応援できない。

やり方は色々あるのもわかっているけれど、お金を払うことがすべてではないこともわかっているけれど、わたしが今その人とのご縁に敬意を払って、その人とのご縁を大切にしたいと思って、「こうしたい」と思ったことがお金が理由で出来ないのは、辛いなあと思う。


闇雲にお金が欲しいわけではなくて、大切にしたいものを自分がこうしたいと思う形で大切にするために、お金が欲しい、と最近よく思う。


お気に入りのバーに行くのにもお金がかかる。
わたしが行きたいから行くのはもちろん大前提なのだけど、そこに足を運ぶことはそのお店とのご縁をつないでくれた人への恩返しであり、その場所が続いて欲しいと思うからでもある。
お金が回ることって、そのバーのためにもなる。わたしも嬉しいし、バーのひとたちも嬉しい。

ご縁が繋がった人に会いに行くのもいいけれど、ご縁が繋がった人からお薦めされたものにも触れてみたい。有名な高級店の料理が食べたいのではなくて、大好きな尊敬する人が薦めてくれたお店の料理だから食べたい。そういう風に、繋がったご縁でわたしの時間は埋まっていく。そういうのがいいなあと思う。そして行った場所でまた新たなご縁が出来て、次に繋がる。


わたしがお金が欲しい理由は、ずっと昔から変わらない。
誰かの想いに応えるために、ご縁を大切にするために、誰かを応援するために、お金が欲しい。
遍くすべて、ではなくて、わたしが大切にしたいものを、この世で見える形にして、大切にしたいと思う。



何のためにお金が欲しいのか。



それさえはっきりしていれば、きっと、お金を貰うことや使うことに罪悪感は覚えない。お金を得る目的を見失うこともない。


心穏やかに、お金との軽やかなお付き合いを続けていけるのだろう。

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