人生で一番大切なこと。自分の心から欲しいものを認めること。人生で一番辛いこと。自分の心から欲しいものを否定すること。
直前まで体調を崩していたのに、前日の夕方にはかなり良くなっていた。
前日は土砂降りの大雨だったのに、当日は眩しいほどの太陽と青い空。
そんな風に、いろんなことが、ほんとうにいろんなことが。びっくりするほど上手く重なって、最高のタイミングでわたしは伊勢に降り立った。
そんな素晴らしいタイミングで、外宮と内宮のお詣りをゆっくりと静かに終えて。
そうして。
新年早々、伊勢神宮に呼ばれた理由は帰る間際にわかった。
それは、わたしがそう思っているだけなのかもしれないけれど。
でも、わたしはこのために伊勢まで来たんだなあって思った。
そして、そのお役目に自分が選ばれたということに、感謝した。
伊勢には友人がいる。とても一生懸命で、とてもまっすぐで、とても情の深い、尊敬する友人が。
様々な人生の荒波を乗り越えて、ひととき落ち着いていた彼女の元に、新年早々、人生の大きな決断を迫るような出来事が起こった。それにより噴出するたくさんの生死を分かつような問題の数々。
彼女はその問題にひとりで向き合い、許容量を完全に超えてふらふらだった。
そんなタイミングでわたしが伊勢に来たのは、もう何かの導きがあったからとしか言いようがない。
なぜ、今だったのか。
伊勢なんて、いつでも来れるのに。
それなのに、何故、今でなければならない、と思ったのか。
その答えが、彼女との再会であったように思えてならないのだ。
彼女は、知っていた。
自分が何をやりたいのか。
心の底で、本当に望んでいることが何かを。
けれど、たくさんの、たくさんの現実が彼女にそれを認めることを拒否させた。
彼女は苦しんでいた。
そこに、答えがあるのに。
自分の欲しいものがあるのに。
それを知っているのに。
目を背けている、から。
だから、あんなにも悩み、苦しんでいたのかもしれない。
気が狂うほどに悩み苦しむ時は、自分が心から求めているものを形にする方法がわからなかったり、その道を進もうとした時に聳え立つ障害を目にしたり、その道が閉ざされたように感じたり、する時ではない。
自分の本当の望みから目を背けている時だ。
常識から、現状から、立場から、性別から、年齢から、能力から…。理由は様々で何でもいいのだけれど、そういった、「本質とは関係のないもの」に目を奪われて、目を塞がれて、そうして本当の望みを認めることが出来ない時。
それが、何よりも一番苦しい。
自分の本当に大切にしたいものを認めているか。
それを本当に大切にしているか。
たぶん、それだけだ。
自分の人生を生きていくのに大切なことは。