心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

今更ながら新年を振り返る。

わたしの新年はとても静かだった。

新年が明けたことへの高揚もなく、ただ、年が明け新しい一日がいつも通り始まったことを自覚した。

 

そうして、わたしはここから改めて歩き始めるのだと、静かに決意したのだ。

 

12月、今の場所を去り次へ進む決意を固めて伝えた。

あれから実のところ、何一つ進んでいない。わたしの中で、離れるべき場だけがはっきりしていて、それに代わる場が見つかってはいないのだ。

 

まるで何もなく空中に放り出されたような感覚で、ただ日々を過ごしている。

 

充実している毎日と、感謝と出会いにあふれた素晴らしい日々。

 

けれど、すぐそばに虚無が横たわる。それをただわたしは観ている。

不快や不安を感じるわけではなく、ただ、観ているのだ。

 

それはとても不思議な感覚で。

未来が何も見えない中で、今すぐこれをすべきだという理性の声をさらさらと自然に流していくような心地。

 

もちろんやるべきことも、やらなければならないことも、やった方がいいことも、すべて認識はしている。

 

けれど、まるで心も身体も動かないのだ。

 

それは自堕落であるわけでも、自暴自棄になったわけでも、無関心になったわけでもない。

毎日が楽しく日々が充実しているそのすぐそばで、まるでそれとは異なる一つの流れがあるように感じている。


 

拙速に動くべきではないと、そう言われているような。



ただ、静かにこれからの道を見極めることを促されているような。



それを裏付けるかのように、わたしは新年早々体調を崩した。仕事が始まってからもその余波は続き、結局一週間ほどほとんど動けなかった。それは、主に体が、というより心が。特に、後半は何も書くことが思い浮かばなかったし、書こうという意識も働かなかった。



ただ、静かに過ごしていた。流れていく日々を見ていた。


そうして、身の回りを、ゆっくりと、静かに、冷静に見渡して、これからの人生に持っていくものと、置いていくものを見極めようとしている。



わたしは人と相対するとき、ほとんど全力で心を傾けるため、とてもエネルギーを使う。

だから、多くの人に同じように接することが出来ない。エネルギー切れを起こすからだ。


わたしが持つエネルギーの総量には限りがあり、わたしが向き合える人の人数にも、時間にも限りがある。そして、わたしら表面をなぞるだけの、さらりとした関係性を何十と重ねるよりも、たとえ少なくてもとことん深く向き合える関係を持ちたい。



だから、誰と、どう過ごすか。



それが、本当に本当に重要なのだ。



わたしが、これから進んでいくこの一年において、誰との時間を大切にするか。誰とともに進んでいくか。


それは人だけではなくて、場所も、物も、価値観も、考え方も、そう。



これから登ろうとする山に、何を持って行くのか。この小さなザックの中に、何を詰めるのか。



それを、ただただ静かに、見極めていく時間が必要なのだ。


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