心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

わたしにとっての書くことは、一瞬の煌めきを即座に捉えて形に残すこと。

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わたしの文章は感動する対象が目の前にあって、それに対して心が震えたその振動を、それが消えないうちに書き留めてこの世に残しておく作業だ。


だから、時間が経てば経つほどその振動は弱く小さくなってしまって、それを捉えることがとてもとても難しくなってしまう。

心震えたその瞬間に書くことが、本当は一番なのだけれど、中々そうもいかない。

でも、せめて翌日または翌々日くらいには書かなければ、あの時感じた震えるほどの振動は、両手の指の間から、さらさらと零れ落ちてもはや拾い集めることが出来なくなっていく。

瞬時に書ける環境の確保と、時間が少なくても書き留めることの出来る速さ。それがわたしにとっては必要だ。

今は、1つの記事を30〜40分で書くことが出来るようになった。以前は3〜4時間かかっていたことを思うと、本当に成長したなと思うけれど、でもまだまだだ。

たくさんたくさん、わたしの掌からこぼれ落ちていき、文章の形で残せなかった感動のかけらがある。

それはもう、遠い昔に消え去ってしまって、その片鱗さえ捉えることが出来ない。

それを、もっともっと自覚して、体調と精神を整える必要がある。体調を崩したからとか精神的に不安定だからとか、そんな理由で書くタイミングを逸しないように。
そうでなければ、わたしの伝えたいものが伝えられなくなってしまう。

わたしは、そういう書き手なのだと自覚することが必要だ。


長い時間をかけて練ったり、長い時間をかけて構成を考えたり、試行錯誤をしたり。


わたしはそういうタイプではない。
その時感じたその瞬間の、その感情が、その感動がすべてなのだ。


それに気付けたことは、本当に収穫だった。

人それぞれ、どのように書くかは違う。自分のタイプを把握して、それに対して適切に対処する必要がある。


自分は何を書いているのか。自分は何を表現しているのか。それと向き合い分析し自覚すること。


それによって、これからの自分が取るべき方法が、行くべき道が見えてくる。


同じ「書く」ことを生業にしていたとしても(わたしは生業にはしていないけれど)こんなにも違うのだ。


だから、ひとりひとりが違っていて面白いのだけれど。


同じものは何ひとつない。


似たようなものをより合せてまとめて乱暴にひとまとめにしているだけだ。


書く、描く、撮る、録る。


その表現手法に惑わされることなく、その人は、その作品は「何を」表現しているのかを見極めることがきっと大切なのだ。


そうでなければ、きっと表現したいものを表現するための方法を見失う。


ひとつ、何かが腑に落ちた。