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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

なんにもない、を抱えて生きる。

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わたしには、何か壮大なことを成し遂げたいとか、どうしてもこれがしたいというものはない。


今の場所から離れて、新しいことをしようとしているのに、次の着地点は定まっていない。


それは、きっと間違いなく、今の日々がとてもとても幸せだからだ。


雨風凌げる家があって、毎日ご飯を食べることが出来て。着替えるだけの服だってある。

戦火に追われることもなく、何かから逃げる必要もない。

家族がいて、友人がいて、同僚がいて、上司がいる。

毎日素敵な出会いがあって、毎日素敵な出来事があって、ささいでも毎日のそんなことが幸せで、とてもとても満たされているからだ。


だから、今この時に不満というほどの不満をわたしは持ち合わせていない。


振り返って考えてみても、今の場所を離れるほどの理由は見つからないのだ。


けれど、わたしは離れることを選択した。


それは、ほんとうにちっぽけな理由で、でもわたしにとってはもはや決して譲れない理由だった。


わたしは、もう自分の心が震えないことをやらない。


いや、もう実際にやれなくなってきている。


それに気付かなかった、無視していた頃より、ひとつひとつの仕事に対する思い入れはなくなった。

 
今目の前にある仕事に向き合えていない、という事実がわたしの心を蝕む。


つらくはない。くるしくはない。


けれど、ただただ虚しい。


たとえわたしが能力的にそれが出来たとしても、そこに想いを、心を注げないのなら、それをわたしがやる意味があるだろうか、と。


そう思うのだ。


思ってしまったのだ。



それを自覚してしまった以上、選択はひとつだったというだけのこと。


手放すという選択をして。


何かが変わるかと思ったら、


何も変わらなかった。何も。


ただ、今までと同じ、日々。


何ひとつ、変わることはなかった。


だから、結局のところ焦っていない。


いつか、焦る日が来たらその時考えよう、


と、その程度に思ってしまう自分がいる。


このわたしの態度を、いかがなものか、と。


そう思う人が、感じる人が大半だろうと思う。


わたし自身ですら、いかがなものかと思うのだ。


それでも、心が動かなければ、動けない、動かない。


それをしたら、これまでと変わらないから。


それよりも、もうその状況で動けなくなっている。



もう、誤魔化せないのだなあ、と思う。



誰といたいか何をしたいかそんなことすべてを。


今まで誤魔化せていたものが、見て見ぬふりをしてきたものが、もはやそうは出来なくなっている自分を知る。


義理だけでは、もう動けない。心が動かない。


だから、触れたものひとつずつを、どんな判断基準にも寄らない自分の価値観で、選んでいくのだろう。


自分の心から湧き上がるもののままに生きるのだろう。


もっともっと、純粋に、真摯に、自分を生きるのだろう。



その先に何があるかはわからないし、一瞬先は闇かもしれない。


それでも。


どこかで絶対に大丈夫だ、と思う不思議な自分がいるのだ。


だから、自分の心が感じるままに、自分の足が向かうままに、生きていこう。


崖の一歩手前まで。