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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

真言宗。1200年の古書の学びは現世に繋がる。

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その部屋に入った瞬間に目に入ったのは、眩いほどの光の中に佇む大日如来


最初はただの光の絵かと思うほどに。

その中に、うっすらと、本当にうっすらと、大日如来の顔と手を認めることができる。

それは、光の中から如来が現れる、その瞬間を捉えたものと思われた。

きっと、如来がわたしたちの目の前に現れる時は、このようにやさしくまるい光の中から現れるのだと、そう思った。


その絵から目が離せず、しばしうっとりとその世界に浸っていると、僧が軽やかに語り始めた。


この夜、阿字観瞑想は、わたしたち家族のためだけに開催された。


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「阿」という「字」を「観」る。


「阿」とは大日如来を現す。


「阿」から、大日如来が顕現し、こちらへ向かってくる。


ゆっくり、ゆっくりと。


わたしたちは如来を迎え入れ、


ふかく、ふかく、どこまでも。


如来を自分の中へ沁み渡らせる。


自分の手は大日如来の手。


自分の足は大日如来の足。


自分の心も大日如来の心。


自分は大日如来であり、大日如来は自分である。


これから、大日如来になるのではない。


自分の中に染み入った大日如来を現すのだ。


大日如来であれば、どう感じ、どう考え、どうふるまうか。


まさに、大日如来はわれわれと「ともに」在る。



われわれと分かちがたく結びついている。



いや、われわれと一体の、同じものなのだ。



それが、「阿字観」。



それは、まるでビジネスでの精神修養と良く似ていた。



自分が理想とする者になったつもりで、理想の人が着るスーツを背伸びをして一着買い、その人がコーヒーを飲むようなホテルの最上階で過ごす。その人が読む本を読み、その人の生活をスタイルを、仕事の作法を、考え方をなぞる。


それが、その人になる近道だと。


まずは、徹底的に真似る。


それ以上に、その人になりきり、


その人と同じ景色を見ようとする。



そんなことを思い出した。


結局、この世で表されているやり方やコツやそんなものは、こんな風に、古典の中にある。


古典の中に、その源泉があるのだ。


だからこそ、古典を学ぶこと、古典を読むことは、すべてを学ぶことに通ずる。


真言宗は開創1200年。


1200年の間、語り継がれ、読み継がれてきた、世界の真理のひとつをまとめた本なのだから。