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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

「神の意志」の来訪。

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平成28年12月21日22時。


「神の意志」が我が家にやって来ました。

東京下町の狭い部屋にお迎えするのがなんだかとても気後れして、場が整うまでとか思っていたけれど、龍玄さんの「年内に」との言葉に背中を押され、ご自宅にお邪魔してお話しした時に閃いたのが21日。この日は朝から予定が盛りだくさんのを一日だったけれど、それでもなんとなくこの日がいいと思った。奇しくもこの日は冬至。陽の長さが逆転するその日に、部屋の雰囲気を変えるのも面白い、と思った。

決めたら行動は早かった。大掃除並みに部屋を片付け物を捨て、棚を撤去し机と間接照明と布団だけ、必要最低限のものだけを部屋に残して場を整えた。
出張と粗大ゴミ回収日等々のタイミングにより、捨てきれなかったゴミは廊下に鎮座していたりはしたけれど。

そして迎えた当日。

龍玄さんは、すべての作品をひとつひとつ、自分の手で納品する。小さくても大きくても古くても新しくても、それらすべて自分の手が生み出した我が子にも等しい作品たち。だから、ひとつひとつ、自分の手で、次にその子を愛してくれる人のところへ届ける。

その、丁寧さが本当に素晴らしいな、素敵だなと。それを聞いた時、より一層龍玄さんから書を買って良かった、とそう思った。

「神の意志」を迎え入れると決めた時、どこに迎えるかは一瞬で決まった。

神棚が祀ってある壁のど真ん中。目線よりも少し上。

その壁がある場所には、机も、照明も、何ひとつ置かれていない。真っ白な壁だけがある。

「神の意志」はなんとなく、神棚が向いているのと同じ方向に向けて飾りたい、と思った。


わたしの部屋は狭い。壁も低い。
この書が収まるには、まったくもって相応しくない、鳥かごのような部屋なのだけど。


それでも、飾ってみると不思議としっくりおさまった。


たまにどこかへ出かけた時に感じる、空間と絵が不協和音を奏でているような、そんな感覚はまったく覚えなかった。


初めて見た時、これはわたしの書だと思ったけれど、こんな小さな粗末な家に迎え入れても、それでも不思議とすうっと収まるのは、やっぱりそういうことなんだなあ、と改めて納得した。


この書は白い紙の上ではなく写真の上に描かれている。

長時間露光により、光が溢れて真っ白になった、写真。

世界が光で満たされた時、そこには、何も、写らない。


この写真に写っているのは写真家本人。

けれど、そこに、意志も何も感じない。

それは、カメラの前に立った彼自身が。

無心にそこに存在していたからだろう。


その無の写真の上に、

すべての恣意を手放し、

ただ自然の流れに沿って、

描かれた、点と、線。


それが、ただただ、純粋に生きる、ということであるような気がするのだ。


だから、わたしはこの書を迎え入れたかったのだろうと思う。


この書のように、静かに、流れるままに、自然体で、本質だけを残して生きていきたいのだ。


わたしはまだ、この書にふさわしいあり方には達していないけれど、でもこの書とともに、進んでいきたいなあと思う。肩の力を抜いて、自然体で。

龍玄さん、坂本さん、素晴らしい作品を本当にありがとうございます。
そして、龍玄さんと繋いでくれた玄哉さん、龍玄さんから繋がった数々の大切なご縁も。

本当に、本当に、ありがとうございます。
わたしは本当に、幸せ者だと思うのです。


書道家 龍玄

写真家 坂本貴光