心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

この世界の片隅に 〜水原 哲〜 君が、ふつうに、そこに生きていてくれることが救いになる。

いま、そばにいる。

心から大切な人の。


手の、あたたかさは。
体の、やわらかさは。

いのちが、そこにある、


ということ。


自分の大切な人が、


生きている、ということ。


たくさんの、たくさんの、旅立っていく戦友を見た。


彼らの手はつめたくて。彼らのからだはかたかった。


それが、いのちがうしなわれてしまう、ということ。


自分の前にいる、ぬくくて、やわくて、確かに生きている、大切な人。


それがどれだけ奇跡のようなことか。


それがどれだけありがたい、ことか。


たった少しのすれちがいで、


うしなわれていくたくさんのいのち。


その右手に、一瞬前まで、確かにあった。


確かに、にぎっていた、いのちのかけら。


けれど目が覚めたら、それは喪われていた。


ただ、生きていること。


ただ、笑ってくれること。


ただ、その手を握れること。


殺伐とした戦場の中で、異常な体制が、思想が、ひしめきその場に生きている人をどんどんと侵食していく中で。


ふつうのことで笑って。


ふつうのことで泣いて。


ふつうのことで怒って。


それがどれだけ得難く、奇跡のようなものか。


異常が日常になった日常の中で、異常の中でもはやかつての日常と異常がどれほどにかけ離れているかがわからなくなって。かつての日常のかけらを求めてかつての日常を共にした、大切な人を訪ねて行く。最後の拠り所のように。

自分は正常だろうか。自分は異常だろうか。

そこに、日常がある。自分はまだ日常と繋がっていられる。自分はまだ、あの平和で幸せで大切で愛おしくて、どうしようもなく苛立ちも腹立たしさもあったけれど、間違いなくかけがえのなかったあの日々にまだ繋がっている。まだ、あの日々の延長線上に生きている。


生きていてくれて良かった。

幸せでいてくれて良かった。

あの頃のままで、良かった。

ふつうに、ただふつうに、そこに生きていてくれて。



救われた。



だから、まだ、自分は戦える。

まだ、大切なもののために、進める。


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