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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

東京の朝の通勤電車の話。

電車の中で、心ない言葉をかけられることがある。


東京の、満員電車の中では、みんな、余裕がない。


たった少しのもたつきが許せなくて、

たった少しの苛立ちが我慢できない。


たった1分が、まるで自分の人生を変える重大な時間みたいに。

たった1分で、大切な何かが永遠に失われてしまうかのように。


でも、そうして焦って苛立って得た1分では、なにひとつ得るものはない。


そんなふうに、おもう。


わたし自身も、焦って苛立って、たくさんの時間を浪費しているけれど。



だからこそ。



だからこそ。



自戒を込めて。



苛立ってその人に投げた言葉は、自分を心地よくしただろうか。

焦ってぶつかって不快な思いをさせた人を、忘れるのだろうか。


苛立ちと焦り。

余裕の、無さ。


それは、誰も、きっと誰も幸せにはしないのだ。


苛立ち、焦り。

ひとりひとり、様々な事情があるだろう。

毎日の仕事で疲れが溜まっていたのかもしれない。

体調不良でどうしようもなく辛かったのかもしれない。

どうしても間に合わせたい用事があったのかもしれない。


ひと、それぞれだ。


それが、悪いと言うわけじゃない。

それが、酷いと思うわけじゃない。


そうではなくて。

そんな状況でも、どこかに余裕を持てるくらい、その苛立ちと焦りを包み込めるくらいの場であったらいいのに、と思うのだ。


辛くて苦しいときに、自分を守ろうとして、周りに防壁を作るのは、それは周りが冷たいと、どこかで受け入れてもらえないと思っているからだ。


辛くて苦しくて余裕がないときに、さらに傷付けられたら、持ちこたえられない、どうしようもない、そう思うから、先に防壁を作っておくのだ。


そんな風に、意識的に、無意識的に、防壁を作らなければならないなんて、かなしいなあとそんなふうにおもう。


わたし自身、すべてを信じられているわけじゃない。

それでも、辛くて苦しいときに、自分を守るための壁じゃなくて、自分を受け入れてもらうための表現が出来たら、そうなったらいいなあと思う。


そんな、東京の朝の通勤電車の話。

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