読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

世界という、一冊の本の読書感想文を書き続けたい、ずっと。

f:id:kayamy:20161122230432j:plain


本を読もう。

もっと本を読もう。

もっともっと本を読もう。



世界は一冊の本。長田 弘さんの詩の一節だ。

ここのところ、この言葉がずっとわたしの頭の中をぐるぐると回っている。


読書感想文屋さんをやるのはどう、と言われた時に、思い浮かんだのがこの詩だった。


わたしは、本を読んでいるのではない。人を読んでいる。

イベントで、スピーチを聴いているのではない。話している人を聴いている。


わたしが読んでいるのは、その人そのもので、もっと言うならばその人の本質だ。まだまだそれを捉えるには未熟だけれど、その人の本質の、最も光り輝くその部分を捉えられるようになりたい。



わたしは、昔から本が好きだった。四六時中、飽きることなく本を読んでいた。いつも図書室に入り浸っているような子どもだった。


けれどいつしか本を読まなくなり、街に、自然の中に、人の中に出て行くようになった。わたしの世界から本は消えたとは言わないけれど、その存在が薄くなったような気がしていた。



でも、きっとわたしの本質は変わらない。

 


わたしは変わらずいつも本を読んでいる。それは人であり、景色であり、光であり、世界そのものだ。



そして、わたしは今まで自分の中に留めていたものを、表現するようになった。それが、わたしが日々ここで綴っている文章であり、読書感想文、と言われるものなのだろうと思う。




読書感想文屋さん、ではピンと来なかったけれど、世界を本に見立てるのであれば、わたしがやっていることはまさにその通りのことなのだろう。



わたしは、死ぬまで毎日本を読み、死ぬまで毎日読書感想文を書く。それはきっとわたしのライフワークなのだ。



わたしは、わたしの見た世界の美しいものを、その本質を、書き留めたくて伝えたくて仕方がない。それは、思考するものではなく感じるもので、絞り出すものではなく湧き上がるもの。ただ自分の中から湧き上がる、その流れを流れるままに文章にする。



そんな風に、書き続けたい。

まるで深い山奥から湧き出る澄んだ水のように。




そして、



その水が、絶え間なく湧き出すように、


その水が、美しく、澄んでいるように、



自分自身を磨き続けたい。





世界は一冊の本             長田 弘

 

本を読もう。

もっと本を読もう。

もっともっと本を読もう。

 

書かれた文字だけが本ではない。

日の光、星の瞬き、鳥の声、

川の音だって、本なのだ。

 

ブナの林の静けさも

ハナミズキの白い花々も、

おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。

 

本でないものはない。

世界というのは開かれた本で、

その本は見えない言葉で書かれている。

 

ウルムチ、メッシナ、トンプクトゥ、

地図のうえの一点でしかない

遙かな国々の遙かな街々も、本だ。

 

そこに住む人びとの本が、街だ。

自由な雑踏が、本だ。

夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。

 

シカゴの先物市場の数字も、本だ。

ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。

マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。

 

人生という本を、人は胸に抱いている。

一個の人間は一冊の本なのだ。

記憶をなくした老人の表情も、本だ。

 

草原、雲、そして風。

黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。

権威をもたない尊厳が、すべてだ。

 

2000億光年のなかの小さな星。

どんなことでもない。生きるとは、

考えることができると言うことだ。

 

本を読もう。

もっと本を読もう。

もっともっと本を読もう。