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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

誕生日に添えて。

誕生日を迎えました。

何度目かの、何十度目かの誕生日。
たくさん、たくさんの、抱えきれないほどの、受け取りきれないほどのお祝いをいただいて。

誕生日を迎えるたびに、いつもより強く思うことは、こうしてわたしの周りにいてくれる人がいるからこそ、わたしは今日も生きていけているのだなということです。

目の前にいる人を、わたしの周りにいてくれる人を、ひとりひとり大切にしたいと思いながら、まったく追いついていないわたしではありますが、それにもかかわらず、こうしてそばにいてくれることに、感謝以外の言葉が出てきません。

時間も、体も、お金も限られる中、すべてに対して同じように、とはいきませんが、わたしの心の声も聴きつつ、怠惰や甘えから不義理をしないように、よりいっそう自分のあり方を磨いていきます。

いつまで経っても未熟者ではありますが、わたしのペースでひとつずつ、すこしずつ、進んでいきます。

出会ってくれてありがとうございます。
繋がってくれてありがとうございます。

わたしは本当に、すごくすごく、幸せ者です。
 


昔は誕生日って、なんだかおめでたい日、でした。

けれど何年か前から、誕生日はこの日に無事に生まれてこれた奇跡と、今日という日まで心身を傾けて育ててくれた両親と、わたしを生かしてくれた周りのすべての人がいてこそ、迎えられる日なんだと思うようになりました。
そのすべてに感謝して、そしてまた新たな一年を始める日なんだなと。

そんなことを思うようになって、誕生日当日には両親に電話をするようになりました。二人が出会ってくれたこと。結婚すると誓ってくれたこと。わたしを産んでくれたこと。独り立ちするまで育ててくれたこと。今日という日まで生きていてくれたこと。そういったことすべてへの感謝を伝える日。

普段はまったくメールも電話もしないから。この日だけは照れ臭くてもきちんと伝える。そんな日にしようとある日突然決めました。

父と母がいたからこそ、どんなに辛くても生きることを選べたのだと、そう思うのです。大人になってからは何もしてやれていないと両親は言うけれど、父と母が生きてそこにいるだけで、子どもにとっては生きる力になる。いくつになっても親にとっては子どもは子ども、と言うけれど。
子どもにとってもそれは同じ。いくつになっても、両親を悲しませたくなくて、幸せにしたくて、そうして日々を生きていく。親と子だけは永遠に変わらない、そんな関係性の中にいるのだと思っています。

だから、どこに住んで何をしていようとも、今この時に生きていること。それだけでいい。それだけのことが、何よりも大切なのです。

今は、父と母に感謝を伝えているだけですが、いつかもっともっとたくさんの人に、何らかの形できちんと感謝を伝えられるように、いつもわたしのために使っていただいている様々なもの、こと、時間への恩返しが出来るようになりたいです。

そのためにも、日々精進、だなあと思います。
気付けることも、進めることも、得られることも。
全部が全部、すべてが尊くて大切なことです。



ふと思い立って、11月9日から毎日神社に参拝しています。
何も祈りも願いも頼みもしません。ただ、日々の感謝と自分への誓いだけを立てています。

神仏を信じるというよりは、自分との対話のような時間です。
御神体が鏡の神社の方が、形あるものに何かを願いたいのではないわたしにとっては居心地が良く。
いつしかお寺より神社が好きになっていました。

誕生日。想像を超える素晴らしい一日になりました。
明日からもまた、素晴らしい一日になりますように。

心から、ありがとうございます。
精一杯の感謝と愛を込めて。

2016.11.18