心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

えんとつ町のプペル展。ひとりひとりが握り締めた、星が輝く未来を見よう。

必ず行く、と決めていた「えんとつ町のプペル展」。

思っていたより行くのが遅くなってしまったけれど。


真っ白な外観のギャラリーを一歩入ると真っ暗闇が迎えてくれる。

暗闇は、光り輝く絵に瞬時に取り払われて視界は光で満たされる。

f:id:kayamy:20161115223908j:plain


外の光を遮りながら絵自体が持つ輝きで、明るく照らされた会場。

f:id:kayamy:20161115223941j:plain


その会場で、暗闇を意識することはほとんどなかった。


柔らかく穏やかな、暖かい光に包まれて、ただ幸せで。


絵本のストーリーを思い出しながら、ゆっくり、ひとつずつ、背景の細かいところや服や小物の柄まで、思う存分見て回った。



夏のあの日、東京キネマ倶楽部で「えんとつ町のプペル」の読み聞かせがあった。

今でも鮮やかに蘇る、西野さんの、魂が宿ったとしかいいようがない、深く優しく別の世界に誘ってくれるような、読み聞かせ。

自宅にある絵本を開くと、いつでもあの夏の日に戻ることが出来る。えんとつ町のプペルの世界にどっぷりと浸ることができる。


あれが、わたしの、えんとつ町との、プペルとの、ルビッチたちとの初めての出会いだった。


あれから、何度でもえんとつ町に通ったし、何度でもプペルやルビッチたちと出会い直した。


そこにはいつでも新鮮な気付きと感動があって、そしてそれにまた何度でも感謝するのだ。


そして、この「えんとつ町のプペル」が繋いでくれた、たくさんの有り難すぎるご縁たち。


本当にたくさんの素敵な人たちと出会った。本当にたくさんの素晴らしい瞬間を味わった。


「えんとつ町のプペル」が、西野さんがわたしに与えてくれたものは、どんなに言葉を尽くしても、足りるはずもない。



それだけでも、もう十分にもらいすぎるほどにもらっているのに。



すべての展示を見終わって、そうしてわたしは辿り着く。


わたしにとっての奇跡の光景に。


地下に展示されていたのは、あの夏の日に心震えるままに、感じるままに書いた感想文。


わたしの書いた文章が、そこにあった。

f:id:kayamy:20161115223834j:plain


驚きと、喜びと、感謝と、全てがないまぜになって。


何よりも、何よりも、西野さんに感謝を伝えたい、と思った。


わたしは無名だ。文章を書く仕事をしているわけでもない。文章を書き始めたのすら最近だ。


それでも、西野さんは、自分がいいと思ったというそれだけを基準に、こうして表現してくれる。


「いいものは知ってもらえたほうがいいじゃん」


そんなさらりとした、なんでもない一言とともに。


価値判断の基準となるあらゆるものを遮って、

ただ自分の気持ちにだけ、従うひと。

まっすぐに、目の前のものを見つめるひと。



だからこそ、彼の周りにはひとが集まる。

だからこそ、彼の語ることは、彼の行動はひとの心を震わせる。


ただ、シンプルに。


自分がいいと思ったものはいい。


それだけの、こと。


それをそのまま表現して実行して、後ろを振り向かずにまっすぐに歩き続けるひと。


否定も批判も排除も罵倒も、すべてを前向きなエネルギーに変換して進み続けるひと。


そんな彼だからこそ、「えんとつ町のプペル」は出来上がった。



たったひとりになったとしても、自分の中の真実の星だけを信じて抱えてまっすぐに。


そんな風に生きてきた彼だからこそ、こんなにも人の心を震わせる絵本になったのだ。



ここにあるのは彼の半生。魂だ。



そして、この絵本は。
彼と同じように悩み苦しみ傷つきながら、それでも自分の中の星を握り締めて空を見上げて進もうとする人たちへの応援歌でもある。


彼は休めとは言わない。
歩き出したなら、その先を見せてくれよと言う。



酷いかもしれない。無責任かもしれない。

けれど、何よりも。歩き出したその人が、

どんなに、辛くて苦しくて倒れそうでも。

自分の星が照らす世界を見たいのだ、と。

そう思ってやまないのだと、知っている。

だから決して止めない。ただ進めと言う。

そして、それをまっすぐ伝えられるのは、

その人がその世界を見ることができると、

信じているのだ。信じる覚悟をしている。



背中を押すのは、その人を信じているから。


その人の可能性を、未来を、信じているから。


だから、歩みを止めろとは、言わない。決して。




信じているのだ、誰一人として信じなくても。


その人が持つ星の輝きを。その先の、未来を。


f:id:kayamy:20161115223803j:plain



この絵は限定1セットで、販売もされていた。それが高野山三宝院に奉納されるという。

寺院に奉納されるということは、神への供物としての品格を認められたということ。

これだけのものをポンと買えるだけの人。打算や話題作りではなく、奉納することの意味と価値を分かっている人なのだろうと思う。


この絵に込められているのは祈り。


自分を信じてみんなと違う道を行き、たとえなじられ、けなされ、おとしめられたとしても。ひとりぼっちで歩くことになったとしても。


自分が信じた光に向かって一歩ずつ進んでいく人たちへ。


その先が光り輝くものであるように。未来が明るく照らされるように。

そんな祈りを込めて作られた作品なのだ。



それは西野さんだけではなくて。

この作品に関わった全ての人が、


この先にある明るい未来を信じていて。


その未来のために、孤独に歩む彼らの。

その行く道を少しでも照らせるように。


そんな祈りを込めて、作り上げたのだ。



そんな祈りが込められた絵だからこそ、高野山に奉納されたのだ。そんな気がしてならない。


分業制でたくさんの人と一緒に作った絵本。絵本の制作費も、絵本の世界に触れてもらうための個展の開催費も、どちらもクラウドファンディングで賄った。

この絵本には、実際に作った人たちの祈りと、この絵本が創り上げる未来を信じて支援した人たちの祈りが詰まってる。


それが、高野山に奉納されたということが、本当に素晴らしいことだと、ただただ思う。


何千人もの人々が、ひとりひとり信じた自分の中の光の結晶が、捧げられたのだから。



最後に。
わたしが大好きな大好きな。
空を信じた少年の、父の言葉を。


他の誰も見ていなくてもいい。
黒い煙のその先に、
お前が光を見たのなら、
行動しろ。思いしれ。
そして、常識に屈するな。

お前がその目で見たものが真実だ。
あの日、あの時、あの光を見た自分を信じろ。

信じぬくんだ。たとえ一人になっても。

f:id:kayamy:20161115223724j:plain


こちらもぜひ。公式ブログです。

信じぬくんだ。たとえ一人になっても。


「えんとつ町のプペル展」もあっという間に折り返し。
11月だけの奇跡の時間、奇跡の空間。気になった方はぜひ、都会の中のおとぎの国へ、足を運んでみてください。

セゾンアートギャラリー(入場無料)
11/3〜11/30 11:00〜18:00(最終入場 17:30)


最後に、
あの夏の日の感想文を。