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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

生死の境界線を乗り越えた奇跡の再会。けれどきっとこの再会だけではなく。すべてがそうなのだ。

9月の頭に北海道に行った。


そこで、わたしはひとりのクマに出会った。

車に乗っているからでもあったけれど、恐ろしくはなかった。ただただ、彼の深さと大きさと神々しさに圧倒されていた。

彼の姿はまさに、「山の神」だと思ったのだ。


その彼を見て、ネイチャーガイドの安藤さんは言った。

「2年前の彼だ」

と。


北海道に、クマはたくさんいる。
わたしにはクマの顔の違いはわからない。


けれど、安藤さんは迷いなく、あの時に会ったあのクマだと、誰にもわからなくても自分にはわかる。あの瞳の輝きは、あの時と何一つ変わっていないと、そう言ったのだ。


東京に戻ってから参加した、安藤さんの講演会で、その時の話をまた聞いた。

そしてその後、2年前の写真と、あの時の写真とを並べて見せてくれた。


今度は、わたしにもはっきりとわかった。

間違いない。

同じだ、と。

本当に、瞳が全く同じだった。間違えようがない、とすら思ったくらいに。


死んでいても、おかしくはなかった。

クマの世界は過酷だ。メスは守られるけれど、オスの彼は過酷な生存競争に晒される。

オスにはテリトリーがあり、若いクマは壮年のクマのテリトリーに入った途端に容赦なく屠られる。

それは残酷でも何でもなく、ただの自然の摂理

壮年のクマから逃れようと、人里に近づけば害獣として駆除される恐れがある。

どこに行っても、どこに居ても、命の危険に脅かされ、生と死の境界線で生きる彼ら。


初めて会ってから2年の間に死んでいてもおかしくはなかった。


それなのに。


まさかこの広い北海道のこの地で。


再会できるなんて。元気な姿をまた見ることができるなんて。


安藤さんの驚きと喜びはいかほどのものだっただろうか。


奇跡が幾層にも重なって、あの日のあの時間はあった。


けれどきっと他の出会いもそうなのだ。


毎日普通に会えてしまうから、会えると勘違いしてしまうから、ひとつひとつの出会いがいつの間にか軽くなる。


けれど、本当はひとつひとつの出会いがこのクマとの再会のように、本当は幾層にも重なる奇跡の上に成り立っているのだ。


それを、平和でまるで同じ日々が明日も続くような日常の中で、わたしたちはたやすく忘れる。


だから、こうして幾度も思い出す。


今日も家族におはようと言えること。


明日に会社の人と仕事が出来ること。


明後日にこやかに友人に会えること。



すべて、すべて、何ひとつ約束されてはいない。


すべて、すべて、何ひとつ保証されてなどない。


何度でも忘れるから、何度でも思い出す。


そうしてそれを繰り返していれば、いつか忘れようもなく自分の日々に染み渡っていくのだろう。


そんな風に、大切なことを忘れることがないように、ゆっくりと、しっかりと、染み込ませて生きていきたい。


そんなことを思った時間だった。


いつもいつも、安藤さんはわたしに大切なことを気づかせてくれる。

この話を、この日に聞けて良かったと、何日も経ってから思えることも、また幸せだ。


本当に、ありがとう、ございます。

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