読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

ブログ開始76日目の気付き。わたしが大切にしたいことと、犯してしまいがちな過ちと。

ブログを始めて76日。
何の記念でも何でもないけれど、この土日でわたしにとって、とても重要で大切な気付きを得たのでそれを書き留めることにする。

その間に、わたしにとって心から反省すべき出来事が起きたことも、本当によかった。


わたしの文章も写真も、だれかを喜ばせ、幸せにするためにある。そのために書いてるし、撮ってるし、こうして表現している。

わたしの文章は第一に、その幸せでかけがえのない時間をくれたそのひとへのお礼の手紙で。第二に、その幸せでかけがえのない時間を自分だけではなくわたしの周りのひとたちとも分かち合いたいからで。そして最後に。そんな素晴らしい時間をくれたひとを、ものを知ってもらいたいから。

どんなに素晴らしいひとも、どんなに素晴らしいものも、どんなに素晴らしい景色も、知られなければ、観察されなければ、存在しないも同じ。

わたしは量子力学の、観察によって量子の性質が決定される、という世界観はすべてのものに適用されると思ってる。すべてのものは、観察されることによって、認識されることによって存在する。その人個人の世界においては。
その物が実際に世界に存在するかどうかは重要ではない。(それも誰か別の人が観察したのだということ)


だから書くのだし、撮るのだし、話すのだし、伝えるのだ。

誰もが知っていることでも、わかっていることでも、自分の表現方法で伝えることに意味がある。

そして、自分が伝えたいと思うその人に伝わることに、意味がある。


わたしが失敗やミスを明るくおどけて笑い話にするのも、こんなこと大したことないよ、笑い飛ばせるよ、全然大丈夫だよってみんなに笑ってもらうためで。そしてそんな風に笑い飛ばせる自分に感謝するためで。

決して、それによって誰かに不快な想いをさせたり、不安にさせたり、心配させたりするためのものではないのだ。


けれど、わたしは日曜日の朝に、そのラインを踏み越えてしまった。

もちろん、すべての人を幸せに出来るとは思っていない。すべての人を心地よくすることが出来るとは思っていない。

それでも、わたしの中には基準がある。踏み越えてはいけないラインがある。
中学2年生のあの時に、決して二度と同じ過ちは繰り返すまいと誓ったあのことと、同じようなことをあの朝、わたしはやってしまったのだ。

それは、わたしの配慮のなさの露呈であり、そしてわたしが癒したと思っていた古傷がまだ疼くのだという気付きでもあった。


まだわたしには向き合うべきことがある。もっと深く掘り下げるべきことがある。もっと丁寧に考えるべきことがある。


だから、本当に申し訳なく思うとともに、心から反省するとともに、とてもとても感謝している。


これからも書きたいように書くのだけれど、もう少し受け手の気持ちを慮って、何を表現し、何を表現しないのかを選んでいこうと思う。

月曜より一週間、出張で自宅を離れている。これは一度自分を振り返って棚卸をするいい機会だ。

f:id:kayamy:20161026065623j:plain