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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

サケの遡上。繋がりの中でめぐる命と隣人としてのサケの姿。

すべてが鮮やかで、美しくて、一瞬一瞬が煌めく。


そんな日々が写真の中にある。

北海道の大自然の中だから、ではなくて。

彼だからこそ、見ることができる世界が、そこにある。


何年も何十年もその場所に住んで。同じ景色を眺めて。

それでも今でも毎日感動して毎日心震える日々を送る。

だからこそ、彼の撮る写真はすべて、新鮮な驚きと感動に満ちている。


毎年同じサケが川を遡上するわけではない。
同じように見えても、それは全く違うもの。

同じサケはそこにひとりたりともいなくて、ひとりひとりが自分の人生を、ドラマを生きて、この北海道の川を泳いでいるのだ。

この地に戻ってこれるのは、千のうちのたった一匹、なのだという。それほどに過酷な世界を生き抜いて、ぼろぼろになりながらも、必死で生きて、ここにいる彼ら。

彼らの遡上する様が感動するのは、素晴らしいのは、ただ彼らが激流に逆らって泳ぐから、ではない。

彼らがこの川に戻ってくるまでに、どれほどの苦難と、どれほどの別れと、どれほどの涙があったか。

そして、その苦難を乗り越えてここにいるのは、自分のためではなくて、これから産まれてくる我が子のためなのだ。

ただただ、我が子のために、辛い旅も、苦しい日々も乗り越えて、ここに帰ってくる。


自分が産まれ、自分を育んだ、母なる川に。


新たな命を次へと繋ぐために。


遡上するサケを見て、たくさんいるように見えるかもしれない。

でも、そのひとりひとりが、千分の一の奇跡を経てここにいるのだ。

サケが遡上するその景色は、それだけで、何億もの奇跡の結果だ。

ここまで来て、母なる川の途中で力尽きる、者もいる。
それでも、彼らの死は無駄ではない。
たくさんのサケたちが川を昇るからこそ、だからこそ。

そのうちの何匹かが生き残り、次の世代へ命をつなぐ。

そのために、彼らはある。

彼らのあり方を見ていると、彼らはひとつの種でひとつの生き物のようだ。

多くの子が死ぬことを見越して、たくさんの卵を産む。
多くの者が死ぬことを見越して、多くの者が遡上する。

ひとつの個体だけで、次世代に命をつなぐのではなく。
多くの個体が同じ目的に向かうことにより命をつなぐ。

その個体の命は、だれかひとりだけによってはつなぐことはできない。

人間は、社会的動物と言われる。
だれかとのつながりの中で生きている。

けれどどうだろう。それは例えばサケでも同じではないか。

つながりの形は違えど、サケも、わたしたちも、ひとりだけでは決して生きていくことはできない。
例え、ふたりいたとしても、それだけでは、決して次世代に命をつなぐことはできない。


そして、自分たちの種だけでは。
今生きることも、次に命をつなぐことも。

できないのだ。


同じだ。
サケも、わたしたちも。

大地の、木々の、風や水や火や陽の光。
そして、同じ種の、異なる種の、すべてのつながりの中で生きている。


そう思うと、魚としての、食べ物としてのサケではなく、隣人としてのサケの姿が見えるような気がするのだ。