心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

伊勢が招く奇跡の出会い。人の縁も出会いも流れゆくもの。

本当は、会えないはずだった。

本当は、伊勢神宮で会うはずだった。

けれど、彼と再会したのは友人の会社の3周年パーティで会ったひとが教えてくれた、伊勢神宮から遠く離れた別宮である瀧原宮

元々、彼は京都にいるはずだった。
元々、わたしは東京にいるはずだった。

本来なら、もっと早く瀧原宮に着いて、参拝が終わってから待ち合わせるはずだった。

けれど迷って辿り着けず、彼と再会したのはまさに鳥居をくぐってその先の、瀧原宮さまの目の前。


こんな偶然があるだろうか。

いや。

こんな偶然で世界は出来ている。


まるでここで彼に会うために、すべての事柄が組み替えられたかのように。

不思議すぎる符合。

それが、自分だけではなくて彼にも起こったのだ。
わたしたちはふたりともが、元々の予定がことごとく変更になってこの場所にほぼ同じ時間に辿り着いた。

そして、ふたりでゆっくりと瀧原宮さまにお詣りをしたのだ。


あまりにも不思議すぎて、あまりにも不可解すぎて、こんなことがあるのかと、これを書いている今ですら不思議だ。 


なぜ、彼とわたしはあの時会うことになったのだろう。
こんなにもお互いの予定が変更になって、それでも会うことは決まっていたかのように。


伊勢神宮に突然来たことも不思議だったけれど、それは自分が思い立って行動したことだからそれはそれでよかった。

でも、彼もまたそうだったということに、不思議な縁を感じざるを得ない。

この伊勢への旅路で、わたしは友人のパーティでご縁が繋がった、東京に住んでいない、もちろん伊勢にも住んでいない友人二人と伊勢で再会した。
そして、そのうちの一人との再会の場を繋いでくれたのは、また同じパーティでご縁が繋がったもう一人の人だった。

世界は面白い。
こんな風に、繋がることがある。
こんな風に、繋がるものがある。


彼と、螺旋階段の話をした。

自分の中に向き合うべき課題がある。

一度向き合い、一旦解決したと思っても、また同じ問題が立ちはだかる。

まだこの課題をクリア出来ていなかったか、と思ってまた向き合って解決する。

そうしてそれが何度も続く。

その時は同じ場所でずっと立ち止まって前に進んでいないかのように思うけれど、ふと下を見れば、自分が螺旋階段をもうかなり高いところまで登ってきたことを知る。


人生とはそういうものだ。


そして、同じように螺旋階段を登っていない人とは、いずれ離れていく。


出会った時、同じ階層の踊り場にいたとしても。

自分がどんどん螺旋階段を登って行って。

その人が、同じ場所に蹲り続けていたら。

その人が、自分よりも速度が遅かったら。


いつの間にか、遠く、遠く離れていて、

上から叫んでも、声が届かなくなる。

下から叫ばれる声が、聞こえなくなる。


そんな風にして、人と人とは話が出来なくなって離れて行くのかもしれない。

そんなことを思う。

歩みを止めることも、自分のペースで歩むことも悪くはない。
自分が上にいるのかもしれない。自分が下にいるのかもしれない。もしかしたら右だったり左だったり。
どの方向にどの速度で進んでも止まっても、話が出来る距離、というものがきっとある。
その距離の間にある時だけ、わたしたちはきっと強く繋がることが出来るのだ。

繋がることも、離れることも、どちらが良いということはない。ただ、「そう」なんだというだけのこと。


繋がれない自分が悪いわけでも何でもなく。


ただ、今の現実がそうなのだというだけだ。


またいつか繋がれる日が来るかもしれない。


そんな日はもう全く、来ないかもしれない。


それでも、あの時、繋がった時間があった。


それだけが、出会いの価値を真に保証する。


どれだけ親しく話していても、どれだけ同じ時間を過ごしていても、どれだけ深く理解しあったとしても、繋がる時が来るなら、離れる時も来る。いつか。それが自分の生きている間に来るか来ないかというそれだけのこと。

この瞬間、世界で一番理解しあえて最高の時間を過ごせたあの人と、もう二度と会うことはないかもしれない。


例えすぐ隣の町に住んでいたとしても。会える人と会えない人とは歴然と分かれていく。


幼少期、一番一緒の時間を過ごしていつでもどこでも一緒に遊んで世界で一番仲がいい、わたしたちは親友だと思っていた人がいた。

けれど彼女との別れは突然訪れて。わたしは地元を離れてしまったけれど、それでも多い時は月に一度、少なくても3ヶ月に一度は実家に戻っているのに。あんなに小さい村の中で、この5年間、彼女の姿を見たことはないのだ。

そんなものなのかもしれない。


人も、縁も、出会いも、ただ流れゆく。


再会する時もある。これで終わることもある。


そんなもの。


ただ目の前を流れてゆく、川を下っていく木の葉や花を見るように。流れ来るものと過ごし、流れゆくものを見送る。


そういうものなのかもしれない。

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