心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

伊勢が招く奇跡の再会。会っていても、いなくても。

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奇跡の再会。



友人の紹介で、Facebookで繋がって、でも居場所は東京と伊勢で。いつか会いたいね、会えたらいいね、会いに来てねと語っていたら。

そのいつかがいきなりやってきた。

会うのはきっと、まだまだ先だろうなあと、そう思っていたのに。

駅を降りたら彼女が目の前にいた。
とてもとても美しい着物をまとって。

この日は旧暦重陽節句
その日にふさわしい、菊の花をあしらったとても繊細な着物。

優しく、凛とした佇まいで彼女はそこに立っていた。


一本ぴん、と筋が通った佇まい。
揺らぐことのない心の芯の強さ。


そんなものを、彼女の立ち姿を思い出すたびに感じる。


一本の、野の花のようだと思う。


美しく、強く、環境に適応し、自分の足ですっくと立つ。


そんな彼女の姿を見れただけで、彼女と会えて良かったなあ、とそう思う。


彼女は最初からとても気さくで。
驚くほど距離が近くて、でもそれが不快じゃない。

それが、なんだかとても嬉しくて心地いい。

あんなにも素直で、あんなにもまっすぐで、あんなにもあたたかい人は中々いない。

彼女の中には壁がないのだろうか、と思う。
駅で降り立って彼女と会う時、初めて会った気がしなかった。

前日彼女と会うことを約束したその時ですら、まるで再会するかのような錯覚に陥った。


人と人との関係性は、出会ってからの時間ではない、と言うけれど、もしかしたら会うことすら必要じゃないのかもしれない、とそんなことを思う。

会わなくても、文章で、写真で、わたしたちは会っている。会うことができる。

もちろん会ってから想像と違ってた、なんてこともあるだろうけれど。

会う前に、メッセージを交わす。
ひとこと、ふたこと、電話で話す。

それだけで、会ってからがどんな時間になるかって決まっているのかもしれない。
それで大体のことが決まってしまうのかもしれない。


彼女と一緒に回った伊勢神宮の内宮は、夕方ということもあって、人が少なくてとても静かだった。

しん、と鎮まりかえった静謐な空間。

彼女が参拝方法について教えてくれて。
それぞれの神様について教えてくれて。

日本について、もっと詳しくなりたいな、と思った。
日本という国は、わたしが思っているよりきっともっと素敵なんだろうなとそんなことを思う。


とてもとても、しあわせで満たされた、素晴らしい時間だった。

何をしたというわけではなくて。
ただお詣りをして、話して、彼女と過ごしたその時間が。

それだけの時間が、本当に本当に素晴らしかった。


何をするかではなくて、誰と過ごすか。
繰り返し、繰り返し、このメッセージが浮かぶ。


もちろん、伊勢神宮は素晴らしかったけれど。
それだけではなくて。
誰とともに行ったか。誰とともに過ごしたか。

それこそが、わたしにとっては何よりも大切なのだろうとそう思う。


突然の連絡にもかかわらず、こころよく、広く優しい心で迎えてくれてありがとう。

あなたに出会えて良かった。