心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

素敵な人と美味しいごはん。ひとりひとりの速度は違う。喜びも、幸せも。それでいい。それがいい。

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美味しい料理。

美味しいお酒。
素敵な人たち。
楽しい語らい。

もう、それがあればなんにもいらないかもしれない。

一皿一皿がとても美しく、落ち着いたシンプルな店内はとても居心地がいい。


ソムリエさんの言葉も穏やかで心地よく、ワインが好きだということが、伝わってきてそれも嬉しい。

一緒にごはんを食べるのは、とても尊敬する大好きな人。

いつもにこにこ笑ってて、自分のペースで、自分の道を。

ひとりひとり、速度は違う。楽しいことも、心地良いことも。

いつも何かをしていることが楽しくて心地良い人もいれば。

穏やかで優しい時間を過ごすのが楽しくて心地良い人もいる。

どちらが良くてどちらが悪い、そんなことはまったくなくて。

ただひとりひとりが違うのだと、そういうこと。

すべてのことは、その人の人生で同じだけの価値を持つ。

ごはんを食べて、美しいものを見て、素敵な人と話して、大好きな仕事をして、ゆっくりと一人の時間を楽しむ。

この配分が、人によって、どれだけ違おうとも、そこには優劣はない。

わたしが友人からもらった、大好きな言葉がある。

「わたしのすべては写真を撮るためにある」

味わうことも、見ることも、触れることも、話すことも、書くことも。すべてはこの一瞬、シャッターを切るその瞬間のためにある。


だから、自分の心が喜ぶのなら、自分の体が満たされるのなら、何をしていても構わない。

睡眠時間を削ってひたすらに絵を描く。
いつ一人の時間があるのかと思うくらい人に会う。

すべて、その人が楽しくて嬉しくてやっているのなら、なんだって構わない。

それって辛いんじゃないの?休んだほうがいいんじゃないの?って心配する必要はない。


だって、あなたとわたしは違うひと。
あなたとわたしの好きなことは違う。
あなたとわたしの辛いことも、違う。

そして、あなたとそのひとも、また。


だから、その人がその人の心からの喜びに、楽しさに、自分のど真ん中に背を向けて生きている、とそういうことがないのであれば、なにをしていようとも、その人の心が喜んでいてさえ、それでいいのだ。



ふと、これを書きながら思ったことがある。

わたしが外でご飯を食べたくなるのは、そこに込められた想いも一緒に食べたいからなのかもしれない。


どんなに簡単な料理でも、そこに込められた「食べてくれる誰かのため」への想い。

そんな想いを味わいたくて、そんな想いでお腹を満たしたくて、ご飯を食べに行くのかも、しれない。


素敵な人が作った美味しいごはん。
それを素敵な人たちと一緒に食べる。


やっぱり、これ以上幸せなことはない、とそう思うのだ。


素敵な夜を、本当にありがとうございます。

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