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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

写真を撮ること。世界を切り取ること。ひとりひとりが違うこと。

わたしは、その人の魂が輝く一瞬、を切り取りたいと思っている。


すべてのものは一瞬ごとに完結していて、わたしたちはその連続で世界を見ている。

後にも先にも、決して同じ瞬間はない。

そして、その一瞬には無数の可能性が内在している。

わたしたちは、そのたった一瞬の無数の可能性からたったひとつを選びとっているのだ、常に。

だから、決してわたしたちは同じ瞬間を共有していないし、同じものを見ていない。

わたしにとっての「その人の魂が輝く瞬間」はわたしにしか見えていないし、わたしにしか感じ取れていない。

だから、わたしが撮るものはどこまでもどこまでも、自分だけの世界の中の話。単なる自己満足に過ぎないのかもしれない。

それは孤独だろうか。

それは希望だろうか。

それは自由だろうか。

同じ空間で同じ場所で同じ時間を過ごしても。

だれひとりなにひとつ、真に共有することはない。

わたしは、それでいいと思う。

それがいいのだと思う。


わたしたちはひとりひとりが自分だけの世界に生きていて、だからこそ繋がることができる。

同じ世界を見ているのなら、繋がる必要はない。

理解し合う必要も、共にいる必要も、語る必要もない。


別の個体として、生き物として存在しているのはそういうこと。

だからこそ、そのひとに価値がある。

そのひとには、そのひとにしか見えない世界がある。

そのひとだけのその世界が、世界の多様性の、可能性の一端を担う。


わたしが見ている世界もわたしだけ。

だからこそ、わたしにしか撮れない。

どんなに素晴らしい人でも、決して。

自分が見ている世界にひとつだけの。


そんな世界の中で、輝くその一瞬を。


自分の心のままに、自分の心に素直に、切りとれるようになりたいと思う。


こんな風に、ふとした瞬間に写真のことが頭をかすめる。

文章を書くことはわたしにとってはもはや呼吸をするようなものになっている。

だから何よりも時間を費やしている文章についてはあまり考えることがない。

けれど、写真は今まさに模索している最中だから、何度も何度も繰り返し、写真とは何か、を考えるのだろう。

写真についてと言うよりは、世界について考えていると言った方が正しいのかもしれないけれど。

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