心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

片付けるということ。部屋の中にあるものたちと、一緒に生きる。

自分の部屋を自分の大好きなもので満たす。


そのために、気に入らないものを、捨てる。

それが必要なんだと思って、今までどんどん捨てていっていたけれど。
でも、例えばこのクローゼットを捨てて新しいクローゼットを買うのであれば。

今のクローゼットともう少し、付き合ってもいいかなあと思ったりする。
多分、このクローゼットとはあともう少しの付き合いなのだ。

もう着ないだろう服、もう付けないだろうアクセサリー。
そんなものだったら手放して何か次の循環にまわせればいいのだろう、と思うのだけれど。

でも、今必要で使うもの。

ドキドキワクワクするものではないけれど、確かにわたしとともに歩んでくれたものたち。

彼らと、もう少しの間付き合うというのもまた、物を大切にするということなのかもしれない。

もちろん、ドキドキワクワクするものに出会ったら、そして彼らを今招き入れる時だと思ったら、素直にその気持ちに従って招き入れればいいと思うけれど。


けれど。

そうでないのであれば。

急いですべてを整えようとしなくていい。


わたしの中には、幾度となく部屋を片付けたい、という衝動が沸き起こるのだけれど。
いっときの衝動に流されないこともまた、とてもとても大切だ、とそう思う。


自分の部屋を大切なもので満たす。

それは、今あるものをないがしろにすることではないから。

だから、ゆっくりと、ひとつずつと語り合って、手放すものは手放して、招き入れるものは招き入れる。


どこかで急いでこの部屋を、自分の大好きなものたちばかりで満たそうと思いがちだけれど。

でも、そうじゃない。

ゆっくりと、自分のスピードで、ひとつずつと向き合っていけばいいのだ。

最初はある程度一気にやる必要があるかもしれない。

けれど、その最初の片付けが終わったら、あとは日常の中でまた、ひとつずつ、少しずつ、きちんと向き合っていく。

最初に一気に片付けたもの以外のものたちは、きっとわたしにとって結構大切なものたち。

そのものともお別れの時は来るけれど、焦って別れなくてもいい。

ただ、離れがたいから、という理由で「その時」を先延ばしにしないように。

時が来たら、「ありがとうございます」と言って感謝とともに手放せるように。

そんな風に向き合っていく。

もちろん、ずっとずっと共に生きよう、と思っているものたちもいて。それはわたしの部屋に迷いなく存在している。

きっと、このひとたちとはずっと共にいるだろう、という妙な確信がある。

それらはすべて、誰かの想いがこもったものたち。

それらを作ったひとたちと、わたしは直接ゆっくりとお話したことがあって。

わたしにとって、それらはそのひとそのもの、でもある。

だから、きっとわたしは彼女らとともにずっと生きていく。

そんなものが、わたしの部屋にはきっと残っていくのだろう。

そんなものしか、わたしの部屋には残っていかないような気がしている。



いつか。


わたしの家にあるすべてのものが。


顔の見える、その人の人となりと想いを感じられるものだけになったら。


それがわたしの片付けの終わりの日なんだろう。


そんな日のことを思うと、とても幸せになる。

そんな部屋に住めるわたしは、きっととてもとても幸せだ。

f:id:kayamy:20160919093940j:plain