心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

写真を撮ること。表現すること。呼吸すること。生きること。

「写真を撮る」「写真を撮りたい」という思いの根源は何だろうか。

わたしたちは、いつだって誰かに何かを伝えたい。

話すのも書くのも歌うのも描くのも踊るのもすべて。

誰かに何かを伝えたいから。その方法が違うだけ。



目に映って心震え、一瞬で消えゆく光景。

どれだけ言葉で説明しても、絵に表しても伝わらない。

それをとどめる術が写真だ。

わたしたちは写真という、自分の心が震えた景色を言葉にせずとも描かずとも表現する方法を手に入れた。

けれど、何枚も何枚も撮るうちに気付く。

写真もまた、数多ある表現方法の一つに過ぎない。

目に映る光景をありのままに切り取ったかと思えた写真は、たった一遍の詩が伝える感動にかなわない。

そんなこともある。


それでもわたしは写真を撮る。

わたしにとって、わたしの想いを伝える表現方法のひとつが写真だから。

なぜそれを選んだかは答えられない。

ただ、気がついたら日々シャッターを切っていた、というだけのこと。



わたしたちにとって、伝えるとは、表現するとは呼吸をするに等しい、のだと思う。

生きるか死ぬかにかかわるということではなくて、わたしたちはただ伝えたい。喜びも悲しみも怒りもすべて。それら湧き上がる感情を共有したいのだ。

あの時見たあの景色が美しかった、は。

あの時わたしの心は喜びで震えた、だ。

どうやったら自分の想いを伝えることができるか。わたしたちが考えているのはいつだってそれで。

そして、だからこそ会社がある。仕事がある。

ひとりではどうしても伝えきれないことがあるから。


そうやって、社会は出来上がっているのだ。

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