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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

「星野道夫の100枚」展 やさしくあたたかいまなざしがそこにある。

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星野道夫さんが亡くなってから20年。

名前はよく聞くし、写真も見たことがあるけれど、星野さんの写真ときちんと向き合ったことはなかったな、と思う。

彼の写真は、すべてが優しかった。

肉を食んでいても。

そこに残酷さはなく。

ただ、優しい眼差しがあった。

彼の写真を見ていて思う。
自分の写真を省みて思う。

写真に映る動物たちの瞳は、撮るひとを写している。

わたしの撮る動物たちの写真。

そこには優しさというよりも。
ただ射抜くような輝きがある。

それは、わたしが常に物事の本質を知りたいと思っているからだろう。

星野さんとは、また見る世界が違う。

星野さんと同じようにアラスカに行って、

星野さんと同じようにただ動物たちを待ち続けて、

星野さんと同じアングルでシャッターを切ったとしても。



同じ写真は撮れないだろう。


星野さんとわたしでは、見ている世界が違うからだ。

それは、わたしが星野さんほどの人生経験がないからだと、星野さんほどに自然に、動物に真摯に深く向き合って、その中に身を浸していないからだと。

それも、もちろんそうだけれど。


同じ経験を同じように積み重ねても、そもそも根本的に見ている世界の基礎が異なるからだと、そう思う。


だから、星野さんの撮る写真に意味がある。


だから、星野さん以外が撮る写真に意味がある。


誰が撮っても同じように撮れるなら、

同じ経験を、同じ生き方をすれば同じように撮れるなら、

「その人」が撮る必要などないのだから。



星野さんは、アラスカの地に住むように暮らし、そして写真を撮るためにひたすらに待った。

そこを彼らが通るのを。
ただただ、待ち続けた。

日常の中に息づく彼らの吐息を、彼らのいつもの日々を。

ただ、優しい眼差しで、撮り続けた。


そんな星野さんのあり方が、写真から透けて見えるようだった。

ただただ、まるでかわいい自分の子どもを見るような。そんな優しく暖かい眼差しを感じる。


星野さんの生活スタイルや行動も星野さんを間違いなく有名にしたけれど。


けれど、星野さんがこれほどまでに長い間、愛され続けているその理由は、星野さんが持つこの優しい世界観と、愛情を感じるまなざしなのだろう、と思う。


星野さんの写真を見ていると、とても落ち着く。心が安らかになる。だから、ずっと見ていたいと、その世界に浸りたいとそう思う。

それこそが、「星野道夫」の魅力そのものなんじゃないかと、そんなことを感じた時間だった。


星野道夫さんと、きちんと出会えた、そんな気がした時間だった。


星野さん、とてもとても優しい愛に溢れた時間を遺してくれて、ありがとうございます。

そして、20年経っても星野さんと出会える時間を作ってくれたことに、感謝します。

ありがとうございます。