心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

自然を敬意を払い、その境界を尊重し、共に生きてゆくということ。

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北海道最後の日。


ふたたびキラコタンへ。
ラコタンとは、アイヌ語で「辺境の村」。
今は一面湿原に覆われているその場所は、かつては海だった。
その辺境の岬にかつては村があり、人が暮らしていたという。

ラコタンは特別保護区。環境省の許可を得たガイドと共にでなければ足を踏み入れることすら出来ない神聖な土地。

降り続いた雨の後に少しだけ射した陽光が、水滴に反射してきらきらと、美しい緑のきらめきを見せてくれる。

森の中に射す光の帯もまた、美しかった。

先日ここを訪れた時は曇りだった。
そのしっとりとした森の雰囲気もまた良かったけれど、この雨上がりの光がきらめく森もまた美しかった。

先日ここを訪れた時は早朝だった。
夕方にここを訪れると、日が沈むその光が、湿原を金色に染め上げて、それはそれは美しいのだという。

同じ場所でも、何時に来るか、どんな天気の日に、どの季節に来るか、でまったく違う表情を見せてくれる。

それが、何度来ても新たな感動を味わえる理由であり、何度足を運んでも、そこに感動がある理由でもある。

そして、同じ場所を訪れているのに、この日聞いた話はまた違っていた。
その日の参加者に合わせて常に、新鮮な感動を。
それが安藤さんたちのガイド。何度来ても飽きない理由はそこにある。

シラカバは、ミズナラのためにある。 
以前聞いた話だ。

ミズナラが森を形成した時、シラカバはその他から去り、新たな土地を目指す。
それは、日陰では育つことが出来ないシラカバの性質のため。
ミズナラが作る影。加えて、ミズナラの周りには数十センチの高さのミヤコザサが地面に敷き詰められる。
そこに、シラカバが芽を出せる場所はないのだ。

けれどこの日。
かつてわたしたちヒトが切り倒した古いミズナラの切株の上に。シラカバが芽吹いていた。

シラカバはミズナラのためにある。
けれど、こうしてミズナラがシラカバに芽を出させてくれることもまた、ある。

それが自然が巡り巡るということかもしれない。

決して一方通行の関係ではなく、どこかで繋がり巡っていく。

その、自然の神秘を静かに見せてもらえた気がした。


雨が降ってきた。

空は晴れており、通り雨だろうと先を急ぐ。


かつて絶滅したと言われていたタンチョウが十数羽だけ再発見された美しく澄んだ湖面の奇跡の湖に辿り着く。


少し談笑したその直後。


体を打つような豪雨がわたしたちを襲う。
この日の天気予報は晴れのち曇りだった。

ほとんどの人がレインウェアを車中に置いてきており、無防備だった。

すぐ止むかと思われた雨は、全身をずぶ濡れにするほどに降り続いた。

誰ひとり、このような状況を想定していなかった。

トムラウシ山の遭難事故の話が誰からともなく出た。
夏の北海道で低体温症により8人が死亡した遭難事故。

ここ最近は北海道の歴史上稀に見る気温の高い日が続いていたけれど。

もっと気温が低かったとしたら。

あの大事故の時もまた夏だった。


これが、自然だ。


美しい景色をわたしたちに見せてくれて、心を和ませてくれるのも自然だけれど。

自然はわたしたちのためにばかり存在しているのではなく。

どれだけ科学が発達し、どれだけ予報の精度が上がったとしても。

わたしたちに到底はかり知ることのできるものではない。

自然にとって、すべての命は巡り巡るもの。
ここでひとつの命が終わるとしても、その次に繋がっていく。
命の終わりは始まりでもある。
命が消えることは、雨が降るように、風が吹くように、自然なこと。あたりまえのこと。

だからこそ、自然はそれを斟酌することはない。
未曾有の災害が、わたしたちを襲ったとしても。

それは、わたしたちから見てそうであるというだけ。

わたしたちは自然に敬意と、畏敬の念を持ち。
その偉大さに寄り添うようにして生きていく。

わたしたちは町に、平野に住むことを選んだ。
山は、海は、湖は、別の者たちの領域なのだ。

自分たちが日々を過ごしていない、木々や動物たちが住む場所を訪れるなら。
そこはわたしたちの常識がひとつたりとも通じない場所だということを理解しておくこと。

美しい景色と、感動の体験をもたらしつづけてくれた北海道の大地に、最後に住む場所を違える者同士が関わる際の礼儀を教えてもらったような気がした。

慕うのはいい。
けれど侮ってはならない。

敬うのはいい。
けれど頼ってはならない。

それは、きっと人に対しても同じ。

相手の本質を理解すること。
敬意を払って境界を尊重すること。

自然を愛することは、人を愛することなのかもしれない。

そんなことを感じた最終日。

最後まで、恵みをいただいた旅だった。

7日間の奇跡の旅。その最後にふさわしい時間だった。

改めて、この旅を、この時間を、この出会いを創り上げてくれたすべての人に。

本当に、ありがとうございます。

北海道の旅は終わる。
非日常から、日常へ。

非日常で得たものを、学んだことを、日常に活かしていく日々が始まる。

人も、人が創り上げた街も、自然の一部なのだから。

hickorywind
http://hickorywind.jp


東京に戻ってこの文章を書きながら、旅の中で何度か話題に上った星野道夫さんに会いたい、とふと思う。

彼が亡くなってからちょうど20年。
今なら、また違った形で彼の写真と、文章に出会い直すことができる気がする。


星野道夫の100枚」展

没後20年特別展「星野道夫の旅」

https://www.amazon.co.jp/旅をする木-文春文庫-星野-道夫/dp/4167515024


トムラウシ山遭難事故報告書