心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

人の知恵と力を尽くしたその先に。奇跡の光景を自然が見せてくれる。

北海道を襲った台風。

今もあちこちの道路が寸断され、復旧の目処が立たない。

北海道中、いや、日本中を探しても、この状況下でカヌーを催行する、と言えるガイドはいない。
そもそも、川へ、湖へ続く道は通行止め。川も増水していてカヌーを楽しむなんて不可能。
けれど、安藤さんは違った。

何が何でも、心震える景色を見せる。
 
晴天に、美しい景色を見せるのは誰でもできる。
楽しい時に、ともに楽しむことも誰でもできる。

真価が問われるのは、

嵐が来た時。
雨に見舞われた時。

苦しんでいる時。
悲しみに沈んでいる時。


たとえどんな状況にあっても、相手の心を満たす。

それが、プロ。

危機的状況に陥った時こそ、真価が問われている。


何日も道路状況と川の水位を確認し、安藤さんが選んだのはカヌーを担いで湖まで持っていくこと。

その先には、夢のように美しい景色が広がっていた。

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霧の中に沈む木々。

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木々を反射する鏡の湖面。

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ただそこに浮かぶ木の葉ですら美しい。

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今日この日しか見ることの出来ない奇跡の光景。

静かに湖面を滑るカヌーが、この地の静かさを際立たせる。


台風が来たために、二週間ほどはひとがこの地に足を踏み入れていないだろう、まったくの無垢なる静寂。

たった少しの物音が、高く、遠く、響き渡る。

その音が、この場所の静寂と美しさをよりいっそう感じさせる。


景色が素晴らしいこと、最高の体験が出来たこと、それもかけがえのないものだけれど。

それでも、やはり、なによりも、安藤さんと毛利さんが、あの過酷な山道をカヌーを担いで歩いてくれたこと。


それに対する感動と感謝に勝るものはなかった。


感動とは、そこにしか生まれないものなのかもしれない。
美しい景色も、自然がもたらした奇跡の出会いも、ひとのこころを震わせるけれど。

けれど、隣にいる誰かが、自分のために、心の底から考えてくれて、そうして動いてくれること。


その先に見える景色にこそ、ひとは感動するのだ。


多くの素敵な人と出会い、素晴らしい景色を見て、最高の体験をする中で、わたしたちの記憶は薄れていく。

けれど、決して忘れ得ないものとは、こういう瞬間のことを言うのだと思う。

たとえ、今後二度と彼らと出会うことがなかったとしても。彼らとの縁がぷつりと途絶えてしまったとしても。

それでも、この日のこの瞬間の記憶は残る。

この時、わたしたちのために心を砕き、体を張ってくれたふたりの記憶は感謝と感動と共に残り続ける。

出会いは、一瞬一瞬で完結している。

繋がったご縁を、今後も繋ぎ続けることも大切だけど、例えこれきりのご縁だったとしても、この瞬間、想いをもらい、心がふるえたことを、わたしたちはこれから先の人生において、折に触れて思い出すだろう。

その思い出したその時に、わたしたちはまた出会うのだ。

直接出会わなかったとしても、記憶に残ることで、思い出す事で、この出会いはわたしたちの中で生き続ける。

そんな風に、一生出会い続けることが出来る瞬間が、人生においてどれだけあるか。
それが、人生の中豊かさなのだと思う。

繋がっていても、繋がっていなくても、それはどちらでも良い。

何年も前に、京都の山の中で、登山用ではない靴を履いてきてしまって困っていたわたしを助けてくれた彼らのことを思う。

わたしは彼らの名前も聞いていてないし、連絡先も交換していない。もう顔も忘れてしまった。

けれど、それでいい。

彼らとの出会いはそこで完結していて、でもこうして思い出す。彼らの優しさを。その時の感動を。

わたしたちは、そんな出会いを重ねるために生きているのかもしれない。

それは、ひとだけではなくて、動物や自然だってそう。

わたしたちは、ひとだから、ひとと心を交わすことが簡単だというだけで、動物や、自然だって、きっと心を交わすことができる。

動物を、自然を、意思ある者として、ひとと同じように見れるかどうか。ひとと同じように向き合えるかどうか。

彼らに、大切なひとに向き合う時と同じような、敬意と感謝の気持ちを持てるかどうか。


たぶん、それだけのことなのだと思う。


奇跡のような光景を見せてくれたこの日の沼は、安藤さんと毛利さんの心に敬意を払ってくれたのかもしれない。

今後もこの地と深く関わることになるかもしれないわたしたちを歓迎してくれたのかもしれない。

奇跡の光景が見えるか見えないか。
奇跡の邂逅に巡り合えるかどうか。

それは、誰と出会い、誰と共に行くかも含めて、その人のあり方が問われているのかもしれない。


出会いは確かに偶然であり、けれど必然だ。


この日、この景色が見れたこと。
この日、この人達で見れたこと。


きっと、何か意味がある。


もしも、ずっとわからなかったとしても。


そんな奇跡の瞬間を、奇跡の出会いをこの日もいただけたことを、心から感謝します。

hickorywind
http://hickorywind.jp

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