心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

その地の美しく感動的な自然を知る。寄り添う。友人になる。

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その地の歴史を知るということ。

その地の成り立ちを知るということ。

ただ美しい、可愛い、楽しいだけではなく、その地を知ることで、わたしたちはその地に寄り添うことができる。

テーマパークのひとつではなくて、もっと身近な、生きた存在としてのその場所を知ることができる。


シラカバは、ミズナラのためにある。


豊かな釧路湿原に寄り添う森の中で知ったこと。

釧路湿原は、かつて戦後の生活困窮期に大規模な伐採が行われた。
何十年、何百年とこの地を守った樹々は無残にも切り倒され、ただひとつの切り株だけが残った。

その荒れ果てた大地に、シラカバの樹々が芽吹く。シラカバは陽樹。太陽の光を好む樹。
そんなシラカバの樹々が成長し、森に影が出来ていく。

そこへ、動物たちが後で食べようと隠してそのまま忘れてしまったどんぐりから、ミズナラの樹々が芽吹く。
ミズナラは陰樹。太陽の光の下では成長できない。

シラカバの寿命は数十年。成長も早い。
いち早く荒地に芽吹き、森を作ったシラカバは、その寿命の間にミズナラたち陰樹が育つ環境を作り上げる。

ミズナラの樹々が成長し、森がいっそう影に覆われる。
シラカバの樹々は影の下では成長出来ず、下の方から枝を落としていく。

そうして、ミズナラの樹々の成長とともに、シラカバの樹々は朽ちていく。
朽ちたシラカバの種子は、陽樹であるがゆえに影で覆われた豊かな森の中で芽吹くことはない。
 
シラカバは、ミズナラが育つための森を作り、そして役目を果たすと朽ちていく。
悲しいことでも辛いことでもなく、そうして森は作り上げられていくのだ。

自らの命を賭しての森の再生。
それを彼らは自然に行う。

この大地で役目を終えたシラカバは、また別の大地で荒野を開拓する。そうして、森を広げていくのだ。

現在の湿原に寄り添う森は世代交代の終盤。
シラカバの樹々の数は減り、森を構成する多くがミズナラだ。
戦後70年。ようやく森は蘇りつつある。
けれど、かつての豊かな森を取り戻すには、まだあと数百年かかる。

これが、わたしたちのしたことだ。
自分たちが生きるために、この地を荒野にした。
他にも方法はあったかもしれないのに、この方法を選んだ。

それなのに、彼らは何も言わずにただ淡々と森を再生していく。
そこにあるのは感謝以外の何物でもないのではないだろうか。

こうして、何十年もかけて森を作り上げ、そして今、わたしたちに奇跡の瞬間を与えてくれる。
美しい自然の景観を見せてくれるのみならず、森がなければ、昨日のような素晴らしい動物たちとの出会いもなかった。

けれど、わたしたちは、ただ美しいね、凄いねと言って、森を蹂躙していく。

歩道にある樹々の根。
それをわたしたちが踏んで歩けば、その樹々はいずれ朽ち果てる。

美しい、凄いとわたしたちの心に感動を与え、喜びをもたした素晴らしい景色を、知らず知らずのうちに自らの手で傷付けてしまうのだ。


こんな悲しいことはない。


この素晴らしい景色を、自分の子どもに、孫に見せていきたい、そう思うのに、自らの手でその未来の可能性を潰してしまうなんて。

だからこそ、きちんとしたガイドと共にこの地を歩くことが重要なのだ。

知らなければ、そうして引き継いでいきたいという思いとは裏腹に、傷付け蹂躙してしまう。
知ることは、この地に寄り添うことの最初の一歩。

知ることで、伝えることで、わたしたちはこの地の美しさを、感動を、自分たちの子どもに、孫に伝えていける。

帰る道すがら、思ったことがある。

わたしたちは、だれかの家を訪れた時に、勝手に家の扉を開け、部屋の中を散らかしたりしない。

けれど。そんな誰に対してもしないことを、大切にしたい自然に対してしてはいないだろうか。

森は、そこに住む動植物たちの家だ。
ただ当たり前のように土足で踏み入れて、当たり前のように花を摘む。
もちろん、そこに悪気はない。
足が傷つくから靴を履くし、美しいと思うから花を摘む。

でも、それは彼ら森に住む住人にとってどんな衝撃をもたらすことか。

わたしたちは知らない。
わたしたちの行動が、彼らにとって何を意味するかを。

ここでも、知ることから始めることがいかに大切かを、心から痛感した。

屋久島を訪れた時、ひとりで登れるからとガイドをつけずに屋久杉を見るために山を登った。
あのとき、わたしはガイドのことを「道案内をしてくれる人」程度に思っていた。

けれど、違うのだ。

ガイドは、「その地に寄り添わせてくれる人」だ。
その地の様々なことを知り、普段では気づかないことを気づかせてもらい、そうしてその地の物語を、生き様を知ることで、まるでその地と知り合えたような、友人になれたような気になる。

そうしたら、その地を大切にするし、その地と長く付き合っていける。

それは、人と人との関係性と同じ。

そうだな、今度からはお邪魔します、と森の中に入ろう。
まるで大切な友人の家を訪ねた時のように。

この日も、本当に素敵な、素晴らしい時間をありがとうございます。