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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

奇跡は起こり続ける。北海道の大地で、そして日常に戻ってからも。

奇跡は起こり続ける。


早朝、ヒッコリーウインドを後にしてから、行く場所行く場所奇跡しか起こらなかった。

昨日、見ることはできたけれど、写真に撮る事はかなわなかったチゴハヤブサとの邂逅。

青空を滑空する姿は、文句なく美しかったけれど、
木の枝にじっと留まっている彼の姿も美しかった。

美しい毛並みのその模様まで見えて。
鋭いのかと思った瞳はつぶらだった。

そんなことまでゆっくりと観察できるほどに、じっと動かずに、しばらく木の枝の上にい続けてくれた。


今年の1月に何度も会いに行ったオジロワシとの再会は、予定にない思いがけなさで実現した。

海にそびえ立つ岩山の先。まるで岩と一体化するようにして彼はいた。

その正面には彼の妻。地上にそびえ立つ岩山、その木の枝の先にいた。

じっと動かない、凛とした美しい姿。まさか、こんな形でまた見れるとは思わずに、出会えただけで感動した。

知床に向かう道の途中で、知床の大地の中で、あまりにも身近に見ることが出来たシカたち。

道路の脇の草原で、道路を挟んだ反対側で、10メートルも離れていない場所で彼らはのんびりゆっくりと食事をしていた。

まったく逃げるそぶりも気にするそぶりもなく。
ただ悠然と彼らはその場所で日々を生きていた。

ここは彼らの領域だった。わたしたちを恐れることも威嚇することもなく、だだ当たり前にその場に生きている彼らの姿。ヒトはここでは異物だけれど、それに拘泥することのない彼らの余裕と自信をその瞳に見た。

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笹の葉の陰から突然現れたキツネ。
まだ幼い彼は痩せ細り、毛並みは荒れ、その姿は痛々しいほどだった。
親と離れて独り立ちをしたばかり。食事をろくに捕ることが出来ていないのだろう。

それでも、こちらを見つめる瞳は強かった。幼い彼の懸命に生きようとする光がその瞳の中にはあるような気がした。

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知床の大地で探して求めたヒグマとの邂逅は突然だった。
道路脇の山肌のすぐそば。その距離は10メートルも離れていないだろうか。
 
あまりの距離の近さに、そして探し求めていたその最後の時間、この日、出会うことが出来るのだろうかと不安が過ぎり始めたそのタイミングで、彼は現れてくれた。

堂々としたその佇まいはこの地で山の神、キムンカムイと呼ばれるにふさわしかった。

驚き慌てるわたしたちとは違い、彼はただ悠然とそこにいた。何ひとつ動じることなく、わたしたちを気にも止めず、ゆっくりと歩く。

美しい瞳。揺るぎない光がその中にはたたたえられ。
神々しいほど、拝みたくなるほどのその凛とした姿。

ヒグマは滅多に人前に姿を現さない。
それが、こんな至近距離で出会えた。

驚くべきことに、まったく恐ろしくはなかった。
襲われるのでは、などと一瞬たりとも思わずに。
ただただ、その気高く美しい佇まいに感動した。

彼がゆっくりと、山の中に戻っていく姿を眺めて。
彼に出会わせてくれた奇跡と山と大地に感謝した。

最後に奇跡の出会いを果たしたのはシマフクロウ
環境省絶滅危惧種レッドリストにも指定されている彼らは、北海道の大地にしか生息せず、その数も140羽程度と極少数だ。

彼らの姿を見ることはそれほどまでに難しいのだ。

そんな彼らの姿はとても美しい。
いわゆるフクロウと言われて想像する丸く可愛らしい姿ではなく、猛禽類を思わせる気高く堂々とした佇まいに鋭く強い瞳。その神々しさに、例え彼のことをよく知らなくても、手を止め彼の前で姿勢を正したくなるだろう。

そんな彼らの姿はこの地で村を守る神、コタンコロカムイと呼ばれるのも頷ける。

観察ポイントで待つこと1時間以上。
今日はここにはもう飛来しないのかもしれない、とそんな言葉が漏れ出した時、彼は現れた。

美しく空を滑空する姿。
川の中に佇む姿の美しさ。

夢中で双眼鏡を覗き、夢中でカメラのシャッターを切った。
彼らの美しい姿をなんとか収めたくて、でも収められなくてもどかしさだけが募る。

まっすぐなその瞳も、美しい羽の模様も、気高い佇まいも、すべてが自然が作り上げた芸術そのものだった。

ただ、そこに在るだけで美しい。

存在そのものの持つ美しさを彼はその姿で伝えていた。

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大きな羽を広げたその姿に息を飲む。
美しい羽の一枚一枚がわたしたちの目の前で広がり、その羽の広がりと、そこに広がった美しい世界に、呼吸すら止まった。

奇跡を見た。

奇跡を見続け、

奇跡とともに在った1日。


道外から訪れたわたしたちにとって、この時間は奇跡の時間だったけれど、毎日この地にいる安藤さんにとっても奇跡の時間なんだと、彼を見ていて思った。

わたしにとってはすべてが初めての出会いだけれど、彼はきっと、何度も繰り返し出会っているはず。

けれど、彼は常に新鮮な感動と驚きとともに彼らと向き合った。

わたしが大好きな彼の言葉を思い出す。


Ordinary Miracle.


彼にとってこれらの奇跡は日常。

どんなに素晴らしい景色も、どんなに素晴らしい生活も、日常になった途端にその奇跡は日々に埋没していく。

わたしたちは水道から綺麗な水が出ることに感謝しないし、電車で何処へでも行けることに感謝しない。もはやそれは日常となったからだ。

北海道はわたしにとっては非日常。だから、わたしが感動し心震えるのは当然のことなのだ。

北海道は彼にとっては日常。何度も見ている、と、奇跡をその日常に埋没させるのはたやすい。

けれど、彼はその日常の奇跡を知っている。

今、ここで彼らに出会えることがどれだけ奇跡的なことなのか。何度も彼らに出会ったとしても、「いま、ここ」での彼らとの出会いはこの瞬間しかない。


毎日毎日、同じように出会えていた彼らが、ふと次の瞬間から出会えなくなることがある。

今日のこの日は昨日の、今までの過去の連続ではない。
いつも新しくゼロから始まるのだ。決して、過去の事実は今日の現実を保証しない。

昨日と同じように出会えたとしても、それは昨日の出会いとはまったく異なる新しい出会いなのだ。

わたしたちも、山も、川も、空も、動物たちも、毎日新しく生まれて、毎日新しくゼロから始まっている。

今日のこの日は、この時間は、この瞬間にしか訪れない。決して同じ日はないし、戻ることももちろん出来ない。

同じように毎日を送っていると、今日が来る奇跡を忘れそうになる。まるで同じような毎日が保証されている気すらする。

けれど、そんな保証はどこにも、何一つないのだ。

きっと安藤さんはその事実を体験として知っている。
だから、彼にとっての日常の中でも、新鮮な驚きと、感謝と、感動の中にいるのだ。

奇跡しか起きなかった、何日分かと思われた濃厚な時間の果てに、そんなことを思う。

この北海道の地での奇跡の時間を、そこで得た感動の瞬間を、わたしの日常に戻った時にどう活かしていくか。
そういうことなんだろうな、とそう思う。

自然あふれる北海道の大地にしか奇跡はないのではなく。わたしたちがどこに住んでいて、どんな生活を送っていようとも、日常の奇跡は、間違いなくそこにあるのだ。

この日の奇跡の時間と、ともに過ごせたひとりひとり、そして出逢ってくれた動物たちに、感謝します。

本当に、素晴らしい時間をありがとうございます。