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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

誰かと話し、何かに触れ、聴き、見ることは、新しい自分に出会うこと。

友人と話していると、たくさんのことに気づかされる。


彼が質問する、その観点が素敵だな、その思考はわたしにはないな、とか。
彼のこの感性、感じ方は素敵だな、この感覚はわたしにはないな、とか。

自分にないもの探しをしたいわけではなくて。
自分にない素敵なものを彼らは持っていて、その違いを感じられるのが楽しい。

わたしの周りの友人たちが持つ、たくさんの素敵なものが彼らの会話からこぼれ落ちて、とても豊かな時間になる。

そして、彼らにないけれど、わたしにある思考や感覚があって。
彼らの話を聞きながら、わたしはこういうことが苦手で、こういう感覚はなくて、でも、それならわたしには何があるだろうと考える。
 
そんな時間の中で、また新しい自分に出会ったりする。

何かに触れること、誰かと話すこと、何かをやること。

その中で。

自分がよりいっそう浮き彫りになる。
自分が持っているものがより深く分かる。

話すことも聴くことも触れることも見ることも、
すべては自分と出会い続けることに繋がる。

新しく誰かと知り合って、聴いたことのない素晴らしい音楽を聴いて、未だかつてないような体験をして、息を飲むような美しい景色を見て。

そのとき、わたしたちは自分の外側にある、自分の中に全くなかったものと出会っているかのように感じているけれど。

そんな人と出会えて会話が出来る自分に、素晴らしい音楽に、体験に、景色に、心震える自分に新しく出会ってもいる。

自分は生まれた時から自分で。自分には何ひとつ足されてもいないし、引かれてもない。
だから、新しく出会う自分は間違いなく、もともと自分の中にいたということ。

生きるということは、そんな風に、もともと持っていた宝物を探して見つけて大切にするという、そういうことの繰り返しと積み重ね。

自分の中に、どんなに素晴らしいものが眠っているか、どんなに素敵なものが隠れているか、そんな風に死ぬまでずっと、宝探しを続けていく。

それにはきっと終わりがなくて。
自分の中の宝を全て見つけるには、あまりにも人生は短すぎるから。
だから、生きている間はずっと宝探しを楽しめる。

そして、周りに素敵な人たちがいればいるほど、心踊るヒントをもらえて、素敵な宝物に出会える可能性が高くなる。

人生って、そんなものかもしれない。

素晴らしいひとたちに囲まれて、美味しいご飯とともに過ごした幸せなひとときを振り返りながらそんなことを思う。

彼らとともに過ごせたから、こんな風に豊かな気付きをもらえてる。
彼らとともに過ごす時間も、わたしにとっての宝物。

この日わたしが見つけた自分の中のお宝は、自分はやっぱり外からのインプットを受けてアウトプットをするタイプだということ。

自分から、自分の中のものをアウトプットするというよりは、誰かと話して、何かに触れて、聴いて、見て、それを自分の中でじっくりゆっくり咀嚼して、そうしてそれを表現するひとなのだということ。

だからわたしは前に立たない。
ビジョンを示さない。
目の前にいる人の、物の、あり方を感じてから、動く。

だからわたしはサポーターであり、わたしの行動の大元には、誰かの存在や想いが必要なのだろう。

ひとつ、深く自分を知れた時間でした。

いつも、とても楽しくて、幸せで、気付きにあふれる時間を本当にありがとう。

※写真はこの日のご飯ではありませんが、わたしが大好きなお店のものです。

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