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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

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この本の著者、西野亮廣さんとは漫才コンビ、キングコング西野亮廣さんのこと。

この本は西野さんをよく知らない人にとっては入門書であり、西野さんをよく知る人にとっては辞典のようなもの。

各項目はコンパクトにまとめられており、多くの項目は前後のつながりがなく、その項目単独で読めるように構成されている。

どこから読んでもいいし、自分にとって必要な項目だけ読める、そんな使い方ができる本。

このコンパスを使って自分はどこへ行こうか。
自分なりにどうアレンジしてどう自分の毎日に落とし込もうか。

自分はここにつまづいているのだけれど、西野さんはどうしたのかな。なら自分の今の状況ならこうしよう。

そんな風に使う、まさにコンパスなのだと思う。

そして、西野さんをまったく知らない人、または「お笑い芸人」としての西野さんしか知らない人は、西野さんの違う面に興味を持つ。もっと西野さんのことが知りたくなる。

そしてうっかり実際に会ってみたくなる、話を聞きたくなる、そして気付いたらお笑いライブにも足を運んでいたりする。
西野さんとはそういう人なのだと思う。




そんな西野さんの初のビジネス本。
「魔法のコンパス〜道なき道の歩き方〜」




たくさんたくさん語りたいことはあるけれど、いくらでもどれだけでも語れてしまうので、わたしが最も心に響いたことを3つだけ。



6.ハロウィンの”ゴミ問題”を遊びで解決しちゃった

この題名だけ読むと「えっ、どういうこと!?」って思うけれど、わたしが彼のどこを最も尊敬しているかというと、こういう現実の捉え方の大転換。

わたしが彼のことを知ったのは、まさにこのハロウィンのゴミ問題。

ハロウィンで楽しんだ翌日に、渋谷の街に大量に残される、ゴミ、ゴミ、ゴミ…。
いくら注意しても批判してもなくならないゴミの山。

それに対して西野さんが提示したのはこれ。
「『ゴミを出すな!』と力で押し戻すのではなく、”ゴミがないと成立しないイベント”を新しく作っちゃえばいい。」

ハロウィンのオバケが出したゴミならそれを退治するのはゴーストバスターズ
渋谷の街のゴミを、ゴーストバスターズに扮してやっつける。

版権元にも了解を取って、仲間を集めていざ当日。
集めたゴミはそのままアートの祭典、東京デザインウィークでアートとして生まれ変わる。

なんて、素晴らしい考え方なんだろう。これを最初に知った時冗談ではなく震えました。

この物語のどこにも、不幸になる人がいないのです。

我慢する人も、辛い思いをする人も。集められるゴミですらアートに生まれ変わる。

ここには「肯定」しかなかった。
ひとりひとりが、やらなきゃ!街を美しくしなきゃ!といった使命感や義務感で動いているのではなくて、ゴーストバスターズに扮してゴミを集めるのが楽しいからやっている。
そこには笑顔しかなくて。楽しい嬉しい面白いってそれだけがあふれた時間。

なんて世界を作る人なんだろうと思いました。

そんな風に、すべての物事の捉え方を変えることができたら、どんなに素敵だろうかと。
自分一人ではなくて、周りの人も巻き込んで、みんなで今まで見てきた世界の捉え方を、まるごとぐるっと変えてしまう。

世界は変わらないのに、見方を変えるだけで、こんなにも面白くも楽しくもなる。
本当に、本当に、わたしはこれに感動したのです。


19.イジメの終わらせ方
「そりゃ『イジメやめようぜ』ではイジメが無くならないわけだ。娯楽なんだもん」

一見、過激な意見のようだけど、間違いなく真実だと思う。

これは、わたしも自分がイジメの対象になった時に強く感じたこと。
彼らは笑いながら楽しそうにわたしをいじめた。
彼らには、相手の気持ちを慮ることを怠けるという意味で悪意はあったかもしれないが、悪気はなかった。
いじめているという自覚すら希薄だったと思う。

けれど、いじめの実態はこんなものだ。
そこに、それ以上の娯楽がないから、それ以上に打ち込めるものがないから、いじめは発生する。

その場が楽しくないから、その場が辛いから、別の形で娯楽を求める。

それに対して、「いじめはやってはいけないこと」という正論を言っても意味がない。
それに従ったところで、楽しくもないし、この辛さから抜け出すこともできない。 

正論に従うということは、それに心底同意している人を除いて、何かを我慢する、抑圧するという、本来「辛いこと」なのだ。

だから、別の見方を提示する。別の娯楽を提示する。
もっと違う見方がある、もっと楽しいことがある。そうすれば、わざわざ「いじめ」なんて、面白くないものに関わる時間の方がもったいなくなる。

エンタメは、世の中に絶対に必要なものじゃない、もしくは余分なものなんじゃないか、なんて見方がひっくり返った。

エンタメは可能性で、未来で、世の中を変える鍵だ。

わたしはクソ真面目な言い方しかできないけれど、ただただ笑って楽しくて嬉しくてたまらない、そんな時間のどれだけ貴重なことか。

その時間は確かにほかのつまらないことなんてやろうと思わない。だって楽しいからやる必要がない。
これが、エンタメの力だ。エンタメは、世界を変えるパワーを持ってるんだ。


そして個人的にこれはと思うのがもう一つ。


2.僕は問いを持つ
「ときどき『生きづらい世の中だ』と嘆いている人を見ると、羨ましくて仕方がない。
天然でボーナスステージに立ってるじゃん。」

めちゃくちゃ辛くてしんどくて、そんな状況ですら西野さんはこんな風に言ってのける。

でも、そうだ。こんなやり方してたらつまらないから新しいやり方を考えて、このやり方では本当に得たいものが得られないから工夫して。
あまりに辛いからそこから抜け出すために必死で考えて行動して試行錯誤して。

確かに、何かを変えよう、面白くしようってその考え方は、いつだって現状への不満から出てきた。
現状に満足してたら変えようなんて思わなかったし、そのためのエネルギーも湧いてこなかった。

なぜこれはこうなんだろう?あらゆることに対して問いを持つ。
当たり前のようだけど、本当に本当に大切なこと。
わたしは、ぜんぶがここから始まるのだと思う。
ただし、じゃあいきなり壮大な問いに答えよう!っていのはやっぱり無理がある。

まずは今の毎日を変えること。西野さんは3キロダイエットをすることを進めているけど、それは世界を見る目が変わるから。
何か今までとは違うことを目標にして、毎日を過ごすと、それだけで同じ毎日なのに見えてくるものが違う。それに、敏感に、積極的に向き合うこと。

わたしが写真を始めて文章を書き始めて、世界の見る目が変わったのもそういうこと。
でも、なんとなくだとやっぱり見過ごしてしまうものも多くて。

うっかりなんとなく毎日を過ごしていたら疑問に思わないことというのは二種類あるように思う。

一つはあまりに当たり前すぎて、常識に埋もれてしまっているもの。
一つはあまりにささやかすぎて、疑問に思うという視点がないもの。

個人的にはささやかなところから始めるといいと思う。
いきなりネットがない時代に、アフリカに手紙を瞬時に届ける方法、なんて問いが浮かんで来ないし、浮かんできても「できたら面白いよね」という夢物語、冗談で終わってしまう。

せっかく問いが出てきたのにそれではもったいない。
問いとはアイデアだ。そして、アイデアとは現実につながるパスポートで、実際に現実のものにならなければ、意味がない。

わたしの人生にもたくさんのやりたいことが浮かんだけれど、行動に移さなかったことは、何一つわたしの毎日を変えなかった。
当たり前だ。行動しなければ得るものなんてない。考えるだけなら誰でもできる。考えることと、行動することは、全然違うんだって、ちょっぴりだけど行動してきた自分の人生を振り返ってもそう思う。

問いに答えるには基礎体力が必要だ。毎日毎日様々な問いを自分に投げかけ、それをひとつひとつ解決していく。
その基礎体力をつけておくことで、壮大な問いが生まれた時に、それに対してのとっかかりをつかむことができる。
どんなに素晴らしい問いが生まれても、何年も何十年もとっかかりも見えない中でそれに向き合うのは難しい。向き合ってもいいけれど、向き合い方、時間の使い方というものがある。
ただ答えの出ない問いに向き合うだけではある意味時間の浪費で。その問いを頭の片隅に置きながら、その問いとは関係ないあらゆる問いに自分なりの答えを出していく中で、いつかふとその問いの答えが、きっかけが見つかるものだ。

壮大な問いは、人生を懸けて解く問題は、熟成させておくもの。

今すぐ、西野さんみたいに毎日毎日いろんな問いが思い浮かんで、それに対して独自の視点で自分なりの考えを述べられるなんてそれは無理。

あれはたゆまぬ積み重ねの元に獲得されたものだ。

「あの人は凄い」と言う時に、その背後に気の遠くなる程の時間が積み重ねられていないことはない。

オリンピックの選手のことを考えてみてほしい。
彼らは決して一朝一夕にあの場に立てているわけではない。

「どうやったらオリンピックの金メダルが取れるか」

という、それこそ小学生や中学生の世界から見たら、とんでもない夢物語を、壮大な問いを立てて、その日から試行錯誤を繰り返しながら、たゆまぬ努力を経てあの場に立っているのだ。

その問いを立てたその瞬間、彼らには何かがあっただろうか。自分の才能?すでに確立された能力?いや、きっと何もなかったはず。少しはあったかもしれないが、オリンピックに出れるというそんな保証も可能性も、誰も見ていなかったに違いないのだ。

凄い人は、何もないところから始めている。
だから、わたしたちが凄い人になれるかは、何もないここからどうするか、どんな一歩を踏み出すかというそこにしかない。

今、自分が凄い人ではないのなら、ただそれは自分がなんとなく時間を積み重ねてしまったというそれだけのこと。
西野さんは35年?いや、ひな壇に出るということを辞めた、常識のレールを外れた25歳の時から考えたら10年で今の西野さんになった。
それなら、時間の使い方次第で10年あればこうなれるかもしれない。
もちろん、人には個性があるから、西野さんにならなくてもいいし、西野さんとはまったく違う「凄い人」になればいい。

一方、天才はいるじゃないかと思うかもしれない。

例えば、1年で素晴らしい成果を出す天才、というものが現れたとする。彼は確かに本当に純粋に天才なのかもしれない。

でも、彼の才能が花開いたのは、彼が丁寧に彼なりに積み重ねてきた一日一日があったからだと思うのだ。まったく花開いたその才能とは関係ない分野のことであったとしても、ただ毎日を丁寧に、真剣に積み重ねることが、結局すべてに繋がっているのではないかとそう思う。

結局、この本を読んだ。感動した。なら今ここからどうするか?だ。
使い古された言葉だと思う。けれど、最近使い古された言葉は、物事の本質を語っているから使い古されるのだと思うようになった。
突き詰めて考えると、かつて陳腐だなと思っていた、そんな言葉に辿り着くことが多い。
もう一度、言葉に出会い直している気がする。




魔法のコンパス。

このコンパスに魔法をかけるのは、西野さんじゃなくて、わたしたち自身なんだろうなあって思う。

西野さんが魔法をかけてくれたんだって信じて、このコンパスを手にして自分なりに試行錯誤して進んでいけば、気付いたらきちんと魔法がかかってて、見たかった未来がそこにあるんだろうな。

西野さんに出会えてよかった。
わたしの人生は、すごーく面白くなった!
外から見たらめちゃくちゃ歩みは遅いんだろうけど!!
本当に、本当にありがとうございます。

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

魔法のコンパス 道なき道の歩き方


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