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心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

自分の不安と迷いをまわりの人の中に見る。

会社に休日出勤してみた。

しんとした部屋の中。

だれひとりいない空間。

パソコンのファンの音と、蝉の声。

いつもは聞こえる笑い声も、苛立ちも、なにもない、静かな空間。

こんな場所でずっと仕事をしたいなあとか考えてしまう。
ただ、部屋の中に自分だけがいる。
心の中もひたすらに静かで、凪のようだ。

上司を思う。
少し頼りないひと。

部下を思う。
少し自信のないひと。

毎日、彼らがわたしの周りにいる理由はなんだろうと思う。

わたしは自分のまわりのひとは、わたしの内面の反映だと考えている。

だれもが、自分の見たいものしか見ない。
同じ人でもひとによって全く評価が違うことがある。
それは、そのひとがわかっていないのではなくて、そのひとにはその面が見えないというだけ。

ある人への評価が一致したとき、それは彼とわたしがある部分では同じ世界観を共有しているということ。
そして、それは同じ社会の中で育ったというバックグラウンドがあればあるほど、多くなるだろう。

評価が一致するということは、その判断が正しいとかそういったとを示すのではない。
ただ、あなたとわたしは同じ世界観を持っていますね、ということを表しているだけだ。

善悪も、正負も、そんなものはどこにもない。
ただ、それにすがって自分の不安を消し去りたいという気持ちが、判断と評価という手段を持ち出すのだ。

自分の中にあるものに照らし合わせてしか、わたしたちはそのひとがどんなひとなのかを理解することはできない。

ひとは自分の鏡だと言われるのはそういうことだと理解している。

だから、わたしが上司を頼りないと思い、部下を自信がないと感じるのは、わたしの中のなにかをそのひとたちに見ているからなのだ。

わたし自身が、自分のことをどこか頼りなく、自身がないと感じている。

それは多くの複合的な事象を反映しているのだろうけれど。
例えば、ライターとしての道を歩もうとすることについて。

わたしにとって本当にこの道が正しいのか、とジャッジしたい自分がいる。
それは不安だからだ。本当にこの道を進んでわたしは生きていけるのだろうか。
けれど、そんなものはどこにもない。どれだけ探しても、どれだけ待っても誰も保証してくれない。

ただ、自分が決断して、行動するだけなのだ。

そんなことを、日々見せられているのかもしれない。
これだけたくさんの言葉をもらって、自分でも自覚しているのに、それでも躊躇するなんとも弱くて迷いの多い自分を情けないとも思うけれども。

それでも、そんな自分を認めて抱えて進むこと。
悩んで迷って失敗して、それでも進むひとを美しいと思うなら、自分のこともそう思いたい。

綺麗事ではなくて。
自分の醜くてどうしようもない部分も認めてその上で進みたいなあと思う。

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