心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

頭より、心より、体が知っている。

ふと、思い返せば、


秋頃からずっと、
不調の波の中にいる。

少しマシになったり、
寝込んでしまったり。

そんな風に、
波はあるけれど、

いつも
ずっと
不調。

頭痛と、
倦怠感。
眠気も。

波のように、
強く、弱く。
打ち寄せてくる
それらを抱えて
毎日仕事をする。

仕事はほどほど。
人間関係もいい。

何ひとつ不満もなく。
ただ穏やかな、日々。

職場で虐めにあうわけでも、
100時間残業するわけでもない。

それなのに、
体調はずっと低空飛行。

意識はしていなかったけれど、
もう、かなり前から、わたしは、
職場と乖離していたのかもしれない。

頭より心より体が知っている、
ということは、
こういうことなのかもしれない。

生涯、言葉とともに、生きる。

真夜中に突然降りてきた言葉。



わたしは

生涯

言葉とともに

生きよう


人はみな毎日言葉を使って生きているけれど。

そうではなく。

言葉を育み言葉と共に、言葉を愛して生かす。


そんな風に、人生のパートナーのように。


言葉とともに生きよう。


わたしには、たくさんの特性があるけれど。


それでも。


生涯をともにするのは「言葉」なのだ。

満員電車。混雑の中に埋もれる「ふつうのやさしさ」。

ただ、毎日電車に乗っているだけで、

幸せなことは、たくさんあるような、
そんな気になったりすることがある。

朝からこんなに人でもみくちゃにされて、
それでも誰かのために道を開けてあげる。

なんでもないことかもしれないけれど、
そんな人がいること、とか。

満員電車の中で、
ぎゅうぎゅうと押されながら 
何十分も過ごすことは、
それだけでストレスが溜まること。

そんなストレスがいっぱいの状況の中、
それでも誰かのために動けるのだとしたら、
実はそれだけですごいことなんじゃないだろうか。

電車が遅延して、急いで、ぶつかって、怒鳴って。

実は、そんな風にいらいらしてしまうことこそが、
普通の人の反応だったりするんじゃないだろうか。

ただ、黙って、平常心で。
むしろ時には隣の人に、
側にいる人たちに、

優しさを振りまきながら乗り続けられることは、
普通のようでいて、とっても尊いこと、かもしれない。

わたしたちは、
当たり前にあるものへの、
感謝とか、喜びとかを。

やっぱりすぐに忘れてしまう。

道を譲ってくれたお兄さん。
声を出してくれたおじさん。
外で待ってくれたお姉さん。

そういう普通の人たちを、「優しい」と言うのだ。

満員電車。人でないもの。

車輌トラブルで電車が遅延。

朝の一番混雑するタイミングで、
ホームにあふれる人、人、人。

電車がホームに滑り込み、
我先にと乗り込もうとする人たち。
電車のドアが閉まらなくなって、
まるで荷物を押し込むように、
電車の中に押し込められる人たち。

これは、なんだろうかと思う。

まるで、人ではないようだ。

なんだかとても
シュールな光景を見ているような、
そんな気持ちになった。

人として扱われずに、
電車に詰め込まれて、
会社に届けられる人。

そんな状況になっても、
会社へと急ぐ、人たち。

なんのために。

どうして。

絶対に、
この電車に乗らないと、
いけないの?

そんなことを、
ぐるぐると考えながら、

わたしも人でないものになる。

人でないものを、人に戻したいと思いながら。

奇跡の再会。偶然は必然で。出会うべくして人は出会う。

「今、宮崎駅にいるんだけど会えない?」

そんなメッセージから始まったこの日の奇跡の再会。


まさか、そんな急なお誘いで、

まさか、二人も会いに来てくれるなんて。


あの時から、もう一年以上は経っていた。


わたしの停滞期を支えてくれたセラピストの彼女。

わたしの停滞期からの復活を見届けてくれた彼女。


あの時、わたしは人生のどん底で、

もがいてももがいても抜けられない沼の底で、

それでも光を求めて足掻いていた。


あの日々を乗り越えて、

そうして新たなスタートを切る、

そのタイミングでこうして会える。


それは、決して偶然ではなく、必然だった。


二人とも、今日のこの夜には先約があった。

それが、参加者の体調不良で延期になって。


まるで、導かれるように、この場に来てくれた。


久しぶりの再会。


会わなかった間に彼女たちはとても美しくなっていて。

自分の道を歩んでいこうとしている姿に刺激を受けた。


この日、この時出会えたことは、

決して偶然ではない。


必然だから、様々な調整が働いて出会えたのだと。


そう思えてならなかった。


他愛ない話も、どうでもいいことも、

すべて、すべてが大切な宝物のような、

そんな時間だと思いながら、聴いていた。


今日、巡り会わせてくれたことに、

心から感謝したい、と、そう思う。


わたしはきっと、次に進むための、

大切なメッセージを受け取っているのだと、

彼女たちと話しながら、感じていた。


今はまだはっきりとはわからなくても。

今日ここでもらった言葉が、

今後の人生において、

必ず生きる。


そんなことを、思う。


この日たまたま彼女の手に戻ってきた一冊の本を、

これもご縁だからと、新たな旅立ちのお供に頂く。


それもまた、

不思議なご縁。

巡り合わせ。


きっと、今日この本をもらうことにも意味がある。


大切に、読もう。

この本の中に羅針盤のかけらがある気がする。



今日、会いに来てくれた、

一緒にすごしてくれた彼女たちに、

心から、心からの感謝を捧げたい。


ありがとうございます。



優しくてあたたかい。愛あふれるジュエリー。

このお店の写真を見た瞬間、

ジュエリーが持つ暖かさが、

ダイレクトに伝わってくるようだった。

 

写真を通してでも、

その物の本質は伝わる。

 

現物を見なくても、

本人に会わなくても、

優しい愛溢れる人が作っているのだと。

 

そんなことを確信する。

 

優しい光の中に、あたたかく佇む指輪たち。

ひとつひとつ、心を込めて丁寧に作られたのだと、

説明を受けずとも、何よりも、写真が物語る。

 

一枚目の不思議な模様の指輪は、

メロン農家さんのオーダーメイドの結婚指輪。

 

動物の爪が使われたおばあちゃんの形見の

ジュエリーをリメイクして欲しい、

と頼まれた時のエピソードがまた素敵すぎる。

 

その人にとって大切なものを大切にする。

その人が大切にしているものを汲み取る。

 

ジュエリーを纏うその人のために、

その人が大切にしているものに寄り添う。

真摯で、丁寧で、とてもとても優しい愛ある人。

 

素敵だな、と思う人が作るジュエリーを纏うことは、

そのジュエリーに込められた想いも共に、纏うこと。

 

そのジュエリーを身につけるたびに、

作ってくれたその人の想いを受け取り続ける。

 

いつも身に纏うものだからこそ、

大切な人に贈るものだからこそ、

 

素敵な職人さんが心を込めて丁寧に。

ひとつひとつを丹精込めて創り上げた、

そういうものを買うことに意味があるのだと思う。

 

大切な自分には、大切に作られたものを。

大切な人に、心を込めて作られたものを。

 

自分の想いと職人さんの想い。

それが繋がり合わさって、更に素敵なものになる。

 

そこに込められた職人さんの物語。

そこに込められたわたしたちの物語。

 

綺麗で素敵。

それはジュエリーの必須条件。

 

その上に、忘れえぬ物語を、想いを。

 

ECETY

坂本貴光「生まれたところ」

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その作品を見たとき、
わたしは何を見ているのだろうと思った。

これは、なんだろう、と。

黒と、金。

長方形の、二枚の紙が、展示されていた。


坂本貴光氏は写真家だ。


わたしは、写真を見にきたつもりだった。


けれど。


そこにあったのは、二枚の紙、だった。


漆喰、と言えば伝わるだろうか。

壁一面の漆喰を黒で塗り潰し、
そしてもう一面を金で塗り潰し。
そこから紙一枚分を切り取って剥がして、
額装して備え付けた、そんな作品。

ただ、違う色を塗っただけのように思えるのに。


そのふたつは、決定的に違った。


黒の一枚は、生と死。現実だった。

目の前に立った瞬間に吸い込まれるような。

目にしたその瞬間、何故か涙が溢れそうになる。

一面の黒は、死の連なりだった。

砂の一粒一粒に、人の命がある。

その中に、きらきらと光るもの。

ほんの僅かなそれが、生だった。

無数の死の中に煌めく僅かな生。


それは、わたしたちの生きる世界だった。

現実だった。無数の死に支えられて、生は在る。

この世に産まれる時、
わたしたちは瞼を開き、光の世界を知る。

この世から去る時、
わたしたちは瞼を閉じて暗闇に還っていく。


産まれるまでの暗闇と、死んだ後の暗闇と。


それはどこか特別な世界で。
決して垣間見ることの出来ないような。


けれど、わたしたちは常に瞬きをしている。
生と死の世界を、何度も何度も往復しているのだ。

そして、眠るたびに、
産まれる前の、死んだ後の世界に還っていく。

その合間の一瞬一瞬で、
わたしたちは生きている。

暗闇と、光。

どちらが現実で、どちらが虚構だろうか。

瞼を閉じて、また開いたその世界は同じだろうか。

眠りに就いて、目を覚ました後の世界は同じだろうか。


暗闇と、光。


真っ暗な、その一面の中でこそ、
わずかな光はその存在を明らかにする。


光の中で、光は見えないのだ。


わたしたちは、闇の中で生きている。

わたしたちは、闇の中の、
一瞬の光を、現実を、生きている。



金の一枚は、極楽浄土。虚構だった。

目の前に立った瞬間に、自分が開いていくような。

世界が拡大して、その金の世界に誘われるような。

金の世界の中には、光はなかった。

いや、確かにあるけれど、
目を凝らさなければ、その光は捉えられなかった。

金で、光で、塗りつぶされたどこにも闇のない世界。
それが、虚構であり、幻想の世界であるということ。


光は均一ではなく、その濃淡をわたしの前に提示した。

それは、ひとりひとりの思う
幻想の世界の違いを顕しているようだった。

この金の光の中に
ある人は如来を見て、
ある人は神を見るのだろう。

まだらな光は、わたしたちに想像の自由を許す。

どこまでも、どこまでも、光に溢れた世界。

どこまでも、どこまでも、喜びに満ちた世界。

この金で彩られた世界の向こうに、
わたしたちは自由に自分の想像を遊ばせる。

砂の一粒一粒は、
神であり、如来であり、
天使であり、菩薩だった。

慈愛にあふれる、ただ光だけが満ちる世界。


けれど、わたしはこの世界よりも、
漆黒の、現実を、見据えていたい。


光の世界はとても魅惑的で、
その中に全てを委ねたくなるけれど。


わたしは、死があふれる現実の中で、
僅かな生の煌めきを捉えて生きていきたいのだ。


ただただ光に溢れた美しい世界は素晴らしい。

けれど、光だけではわたしは満ち足りることはない。


深く、深く、
死の世界に潜り。

どこまでも、
漆黒の中に沈み。

その上で、見る光。

それこそが、極上のものだと思うからだ。


それは、極楽浄土の誘惑を振り切って余りある。


人が、現実の世界でしか手に入れることが出来ない、
なによりも尊く、なによりも美しいもの。


フォト・ヨコハマ
坂本貴光「生まれたところ」
会期:2/27〜3/27(予定)
会場:ブリリアショートショートシアター フィルミー2階