心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

言葉の持つ力。言葉は世界を作り、言葉は未来を創る。

コピーライター養成講座を受講することにしました。


コピーライターになると決めたわけではないですが。

今日、説明会に参加してみて言葉の持つ力、というものを、強く強く感じました。

 

わたしのいつも書いている文章は、わたし自身から湧き上がるものをただ文章という形にしているだけのものです。

 

そこには、この感動を与えてくれた相手にこの想いを届けたい、この湧き上がる感動を言葉にしたい、というそれだけがあります。

 

言葉はわたしの意思で自由になるものではなく、ただ自分の中からあふれてこぼれるもの。

これは、クライアントの要望にあわせて調整することができないのです。

 

だからこそ、わたしの文章はクライアントを持っての仕事にはなりえないと思っていました。

しかも、わたしの文章はただひたすらに長い。

コピーライトのような短い文章はわたしにとっては苦手な分野です。

 

このために、コピーライターを目指すという選択肢はわたしの中にはありませんでした。

 

けれど、今日のコピーライター養成講座でコピーライトはただの言葉ではないのだと気付かされました。

 

コピーライターはクリエイターであり、マーケターであり、プロデューサーであり、コンサルであり、経営者である。

 

コピーライターは、クライアントの伝えたいことの本質を、達成したい組織目標を、作り上げたい未来を、汲み取って形にして提示する。

 

しかも、

最もその人が求める形で。

最もその人に刺さる形で。

 

 

わたしたちは、言葉でコミュケーションを取っています。

 

わたしたちは、言葉で伝え、言葉で動き、言葉の中で生きています。

 

心に響く言葉は人を動かし幸せにする。

 

本質を突く言葉は組織を作り社会を作る。

 

 

言葉は、世界を作るもの。

 

 

言葉は、未来を創るもの。

 

 

その一端を担うなら、これほど面白いことはありません。

コピーライターとして仕事をしなくても、言葉は世界に溢れています。言葉と無縁の仕事は存在しない。

 

 

わたしは、文章を書くことも好きですが、目の前にある物事を分解して整理して解決策を提示して未来への道筋を作ることも大好きです。

 

だからこそ、コピーライターとしてはわたしのいつもの文章は役に立たないとしても、違う形で言葉を紡ぐことが出来るのではないかと思ったのです。

 

 

やっぱり、わたしは言葉が好きです。

 

 

わたしは言葉の持つ力を、可能性を信じています。

 

 

ここで学んだことを、どのように活用していくか。

 

 

それはまだはっきりとはしていませんが、

 

 

わたしの心がイエスと言った、それに従います。

 

 

言葉で世の中にプラスの影響を与えられるなら、

 

 

それは本当に素晴らしいことだとそう思うのです。

 

 

この講座を教えてくれた友人には、感謝しかありません。本当に素晴らしいきっかけをありがとうございます。

君よ生きて。

君よ生きて



わたしの大切な大好きな人たちが
いろんな形で関わっている音楽劇。
いつか必ず観に行くと誓ったそれ。


その日は意外と早くに訪れて。


観終わってまず最初に思ったことは、


ああ、なんだ、
わたしはぜんぜん本気で生きてない、
だった。


わたしの命はわたしのものだけれど、
数多の命が繋がった、その先にある。


かつて父と母と一緒に、
父方、母方のすべての墓を
訪ねた時を思い出した。


あの時、わたしという人間は、
父方母方に繋がるすべての祖先が
命を繋いだ結果としてここにいるのだ、
とそう思ったのだった。

何百年も前の墓標が立ち並ぶ墓地。
死んでいった、そして命を繋いでいった
わたしの、父の、母の、祖先がそこにいた。

墓地はたくさんの死が埋まっている場所だけれど。
そのたくさんの死の上に、わたしの生はあるのだ。

彼らが生きて、命を繋いだ、その先にしか、
わたしというひとりの人間は、いない。

けれど、わたしの命を繋いでいるのは、
生きて命を繋いだ者だけではないのだ。


我が家は年に何度か、先祖の墓と戦没者の墓へ参る。


20代の若さで異国の島で散ったおじさんの墓と、
その横に並ぶ同じ村の若者たちの墓標を思う。


傷痍軍人となり苦しんだ母方の祖父を、
焼かれた頭蓋骨から出てきた鉛の弾を。


今の平和と繋がらないように思うのに、
わたしの祖父は戦地に赴いていたのだ。

戦争は、すぐそこにある。

生きて、戦って、
死んでいった、たくさんの命。

戦争の是非は問わない。
ただ、時代だった。流れだった。

それだけのこと。

その時代を必死に生きた人たちが。

たとえ志半ばで斃れたとしても。

願い叶わず家族に会えなかったとしても。


終戦後の日本の地を踏むことがなかったとしても。


彼らが、今のこの日本を支えた。


どんなに無駄に思えてたとしても、

彼らが戦ってくれたからこそ、

彼らが必至に生きてくれたからこそ、

だからこそ、今の日本があるのだ。


彼らが生きたことも、やったことも、死んだことも。

すべては今のこの日を作る、今の命を作る礎だ。

長く生きたとか、子どもをもうけたとか、

そんなことはすべて関係なく。


ただ、この大地で生きたこと。

誰かと時間を過ごしたこと。

それが誰かに希望を与え、

それが誰かに未来を見せる。


生きている、ということは、そういうことだ。


自分自身を振り返る。

わたしは、自分が心から楽しめることを、
心震えることを仕事にしたい思っていた。

でも、それは自分のことだけを考えている、
ということでしかなかったのだ。

だから、違和感があったのだ。

大切な人のために、
この社会のために、

わたしが出来る最大限のことはなんだろうか。

それが、仕事をするということではないだろうか。

一番楽しいことと、
一番貢献出来ることは違う。

わたしは、一番貢献出来ることをしたい。
一番楽しいこととは違うかもしれないけれど。
最大の熱量で取り組めることでなければ、
一番貢献出来ることにはなりえない。

最大の熱量で取り組めることは、
好きなことであることが多いから、
だから結局それが仕事になって、
その仕事で多くの人を幸せにするのだろう。

ああ、そういうことか、と。
なにかが腑に落ちたような気がした。


大切な、本当に大切なことに気付けた時間でした。
この劇に導いてくれた、林さん、夕幻さん、龍玄さん。
本当に、本当に、心からありがとうございます。

わたしがこの劇の感想をまとめきれずにいるうちに、
残り一公演となってしまいました。
もし、ご興味のある方がいましたら、ぜひ。
ラストチャンス。心震える瞬間に会いに行ってください。

「君よ生きて」
2月26日(日)13:00〜

戦争が終わり。

日本に帰れるはずだった。

乗り込んだ列車は北に向かい。

日本は遥か彼方に消え去った。


もうすぐ日本に帰れると。

必ず、日本に帰るのだと。


その希望が何度裏切られても、

どれだけ過酷な状況に置かれても。

大切な仲間と他愛もない日常を笑いながら。

日々を、ただ、ただ。生きる。


冬に閉ざされたシベリアの地で、

飢えと、寒さと、過酷な労働に耐えながら

日本にいる母を、妻を、子を思う。


必ず、必ず、日本に帰る。


彼らを支えたのは、大切な人への愛。



君よ、生きて

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瑞穂舞。神に捧げる、神を呼ぶゆらぎ。

瑞穂舞



指が、まるで生きているようだった。

まるで別の生き物のように動く指先。

指の動きに、腕のなめらかさに、

水を、波を、揺れる水面を見る。



舞を見に来ているのに


舞そのものよりも


その不思議な指の動きに魅了された。


緩やかに流れ、沈み、激流となり、

緩やかに水底に沈んでいく命の源。


水はその指先から生まれて会場を満たし、


その水は生命の輝きを表しているようで。


幕間を経て。


その指先は、胎児の手になった。


舞台の上は羊水で満たされて。


わたしたちは子宮の中を漂った。


舞台の上で舞う彼女の姿は見えず、

指だけが、腕だけが、影の中で動く。

それはまさに、羊水の中を思わせて。

わたしたちは自分がいる場所を見失った。

静かに、深く、深く、かつていた場所を揺蕩う。


その指先に連れられて、

羊水の中へ戻っていくようだった。


彼女の舞は呼び水だ。


この舞台の上に、違う世界を呼び寄せる。


彼女が舞う時、舞台が消える。


それは、神前で舞うそれとも違って。


舞うことにより、

直接この場に何者かを呼び寄せるような。


彼女が、彼女たちが舞う時、


舞台は神域となった。


彼女たちは、その舞で神を呼ぶ。


彼女たちの舞は、祭で、祝詞だ。


神を寿ぎ神を祝う。


舞うのは彼女であり彼女でないもの。


彼女はあちらとこちらの、あわいに在る。


彼女が舞うその間、個としての彼女は消える。


彼女が宿す何者かが、彼女を、その場を染めていく。


彼女から個が消えていくのと時を同じくして、


わたしたちもこの場から彼岸へ遊離していく。


ただ、劇場で舞を見ているだけなのに。


まるでどこか違う世界を漂っているような、


不思議な感覚だけがその身を満たしていく。


そんな、不思議な、清らかな時間のなかで。


ただ、時を忘れてその揺らぎに浸った時間。


わたしたちは何を見たのだろうか。

わたしたちは何を感じたのだろうか。



それは、きっと、いにしえの神に捧げる祈りのうた。



かなり時間が経っての感想となりましたが、
本当に素晴らしい時間を過ごさせてもらいました。

この文章を書きながら、
あの時間に戻っていくようでした。

不思議で、どこか神々しくもあるような、神の舞。

写真もなく、文章で何がどこまで
伝わるかはわかりませんが、
あの素晴らしい時間を頂いたことへの
感謝を綴っておきたいと思って
今更ながら書いています。

瑞穂舞

体調を崩していた間に、これからどうするかを考える。

気が付けば、なんと10日が過ぎていました…

自分で自分にびっくりです。。。

 

しばらく体調を崩していた間、

次の職とこれからの生き方をどうしようか

とそればかりを考えていた。

 

今の職に対する心を失ってから、

わたしは仕事に対する熱意を失っていた。

 

それは以前のわたしにとってはありえないレベルの話で。

仕事中によそ事を考えて仕事の質が落ちたり、

さほど調べずに周りの同僚に聴いて判断したり、

スケジュール管理を部下に任せて確認を怠ったり。

 

今思えば、本当に自分で自分を殴りたいほどに、

仕事に対する真摯さを失っていたように思う。

 

もちろん、仕事はする。

求められたレベルで、内容で。

でもそれだけだ。

 

そこに、要求以上の水準も、

わたしオリジナルの仕事もない。

 

もちろん、意見は言う。

間違って入れば抗するし、

現状に対する解決策も議論する。

 

けれど、それに傾ける熱意と結果が、

かつてのものとは比べるべくもなく減退していた。

 

 

それに改めて気づく。

そして、それがプライベートにも影響していることに。

 

仕事上の甘えと惰性は、

友人関係においても甘えと惰性となって現れた。

 

 

よく電車を乗り間違えるのも。

うっかり勘違いしてしまうのも。

約束の時刻に間に合わないのも。

 

 

かつてはそんなことはなかった。

もちろん、何度かはあったことだけれど。

 

 

それは、わたしの熱意の減少なのだと思う。

わたしの誠実さと、真摯さの減少なのだと思う。

 

 

私生活と仕事は繋がっている。

わたしという個人で見たとき、

仕事がうまくいっていないのなら、

私生活もうまくいかないのだ。

 

 

どちらかがうまくいっていて、

どちらかがうまくいっていない、

ということはない。

 

 

どちらかがうまくいっていないのなら、

もう片方もまた、うまくいっていないのだ。

 

 

友人に甘えて、友人を傷つけて、そんなことに気付く。

 

 

わたしがもう少しきちんと確認していれば、

こんなことにはならなかった。

 

彼女に言いたくもないことを言わせることもなかった。

 

 

この件事態はささいなことなのかもしれない。

 

 

けれど、わたしにとっては自分の目を醒まさせるには十分だった。

 

 

わたしの甘えと怠惰が引き起こしたことだ。

わたしは、わたし自身を立て直す必要がある。

 

 

生活を正し、

仕事に打ち込み、

私生活を満喫する。

 

 

全部、繋がっている。

 

 

ひとつを改善するだけではなく、

すべてを改善する必要があるのだ。

 

 

それに気づかせてくれた友人に、

心から謝罪と感謝を伝えたい。

ピタゴラスイーツ。友紀さんの生チョコレート。シンプルだからこそ、すべてがそこに現れる。

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生チョコレート。



チョコレートを切って、溶かして、混ぜて、固める。


ごくごくシンプルな、その手順。


簡単で単純だからこそ、


その中に、すべてがある気がした。




料理はその人のこころを写し出す。


もしかしたら、うまくいかないんじゃないか。


そんな不安が、「その時」を見失わせる。


ちょうどいい、温度を。


ちょうどいい、粘度を。


そして。


「その時」を過ぎてしまった素材たちは、


合わさることなく分離していく。


早めに気付けば形を整えることは出来るけど。


それでも理想の姿とは程遠く。


なんとかまとまった、という状態になるだけ。




お菓子作りはある意味でとっても非情。


まったく違う素材を混ぜて合わせて化学反応を起こし、


ぜんぜん違う、新たなもの、をこの世に生み出すから。


「その時」を見失うと、

素材たちは何ものにもなれなくなってしまう。



今ここ、に集中して。

自分を信じて。

その時、を感じる。


シンプルだからこそ、


その時を逃したら、


もう戻ることは出来ない。


目の前の素材に向き合ったか。

素材を丁寧に扱ったか。

自分を信じたか。


シンプルだからこそ、

複雑な工程に紛れることなく

ただただまっすぐに、素直に。

それが、結果として見えてしまう。


もちろん、初めてやる時には不安もある。


だからこそ、その不安がお菓子に現れやすい。


まとまるものがまとまらず、

どこかばらばらの部分が残る。


そこには、心の状態がそのまま映し出される。


誤魔化しがきかない。


それがお菓子作りなのだと思う。



多分、毎日お菓子を作り続ければ、

自分の心の状態が見えるんだろう。


出来上がったお菓子は、

きっと雄弁にわたしたちの心を語る。



トントントン、とチョコレートを刻む音。


ひとりひとりが音もリズムも大きさも違う。

切られたチョコレートの形も。

ひとりひとりの心を写す刻む音と。
刻まれていく、チョコレートの山。

チョコレートを刻んでいても、

すっ、と包丁が通る切り方と、

包丁が引っかかる切り方がある。

同じように刻んでいるつもりでも、

チョコレートには、素材には、

この方向に切ってほしい、

という

形や場所があるのだろう。


素材は語る。無言で。

この方向に切ってもらえると一番いい。

これくらいの温度まで温めると一番いい。

音や触感や泡で。

彼らはわたしたちに最良の「その時」を教えてくれる。


多くの場合、

わたしたちはそれを見逃したり、

聞き逃したりしてしまう。


教えてくれているのに。


わたしたちは、

お菓子作りを、

料理を通して、


自分を信じる力


を学んでいるような気がする。



何分経ったら、

何度で温めたら、

何等分に切ったら、


それはあくまで目安でしかなくて。


温度も湿度も自分の体調も素材のコンディションも。


すべてが毎回違う中で、自分で決めていく必要がある。


自分を信じて、自分の感覚に従って、


「その時」を見極めていく。


その、繰り返し。


その、繰り返しで、


わたしたちは自分を、素材を信じていくのかもしれない。


この繰り返しに終わりはない。


すべては、その時限りのもの。


すべては刻々と変化していくものだから。


今回使われたチョコレートは、


一種類のカカオからのみ作られたもの。


ブレンドしないから、毎年毎年、味が違う。


生チョコレートのレシピも毎年毎年変わる。


料理って、お菓子作りって、そういうもの。


レシピの通りに毎年毎年春夏秋冬、 

いつでも同じように作っていたら。


その素材の最高の味を引き出すことは出来ない。



うまくまとまらなかったチョコレートを見て、


わたしは自分の心の状態を知ったような気がした。


これから向き合うべき課題を、

つるりと浮いたチョコレートから、

教えてもらったような気がしたのだ。



試食で食べた友紀さんが作ったチョコレートは、

ほどよい甘さで柔らかくて優しくて美味しくて。

いろんなものがほどけて溶けてゆくみたいだと。

やっぱり友紀さんが作ったお菓子とこの空間が、

すごくすごく好きだなあと心から思うのでした。


初めて出会った時からずっと変わることなく

わたしを幸せにする、友紀さんのスイーツ。

スイーツを、ひとくち食べたあの瞬間の、

なんとも言えない幸福感に包まれた時間。

きっと一生忘れることはないだろうと思い。

今もまだあの衝撃は舌に残っている気がする。


友紀さんのスイーツクラスは東京にもあるけれど。


なぜか、東京のクラスではなくてここがいい。


この熱田神宮の前の気持ちのいいアトリエで。


心地よい人たちに囲まれて作る、この時間が。


わたしにとってはとても大切で愛おしい時間。




今日はいつものカメラを持っていないから。


わたしはずっとこの空間を聴いて、感じていた。


ひとつひとつの音を、丁寧に聴く時間はまた豊かだった。


カメラを構えていたら見過ごすものもある。


それを知った時間でもあったけれど。


わたしはファインダーを通した世界を求めていて。


カメラを持っていなかったからこそ、

どれだけ自分がファインダーを通した

向こう側の世界に焦がれているのか。


そんなことを知れた時間にもなったのでした。


あの、一粒のチョコレートの美しさを、

友紀さんの所作の、佇まいの美しさを、

ひとりひとりの真剣な眼差しを指先を。

カメラに収めたくて、仕方がなかった。


iPhoneのカメラでも写真は撮れる、けれど。


でも、わたしにとって、


ファインダーを通した世界は別物なのだと。



そんなことにも気付いた時間でした。


友紀さん、千恵さん、この日出会ったみなさま。


素晴らしい、本当に素晴らしい時間をありがとうございます。



ニジノ絵本屋。ちいさなちいさな、想いとご縁で世界を紡ぐ、魔法の鍵があるところ。

ニジノ絵本屋

 


都立大学駅前の、

道路の脇のすぐ近く。

ふつうのビルの3階に。

 

ふつうじゃない、

小さな絵本屋さんがある。

 

たたみ一畳ぶんか二畳ぶん。

おとなが3人4人と入ったら、

すぐいっぱいになるような。

 

そんな小さな絵本屋さん。

 

けれどそこにはひっきりなしに

たくさんの素敵な人たちやってくる。

 

それはお客さんやこどもたちだけではなくて。

 

絵本を作った描いたひとたちも。

 

 

集って憩って繋がって。

 

すてきなご縁とすてきな絵本の憩いの場。

 

 

ほっこりやさしくあったかい、

そんな素敵な場所に出逢いました。

 

 

小さな小さな絵本屋さんは、

 

並べるスペースがないからと、

絵本を立てて置いたりしない。

 

すべてきちんと表紙を向けて。

みんながきちんと見れるように。

 

だからそんな小さな絵本屋さんに、

置いてある本はとっても少ないけれど。

 

それでもひとつひとつがとっても素敵で。

うっかり読みふけってしまうような。

 

 

落ち着いてゆっくり読めるように。

小さな絵本屋さんには小さな椅子が。

 

ぽつんとふたつ、置いてある。

 

こんなに小さなこのお店でも。

ゆっくり絵本を読んでほしい。

 

ふたつ置かれた小さな椅子が、

そう語ったような、気がした。

 

 

この絵本屋さんでは

絵本を売る、だけではなくて、

 

体験と繋がりを売っている。

 

 

たくさんのイベント、読み聞かせ。

 

 

そこで繋がるはじめてさんと、

そこで知る、ほかの人の世界。

 

 

同じ絵本を読んではいても、

わたしとあのこは違う世界。

 

 

読み方も、感じ方も、そこから描く世界も。

 

 

そんな風に、ひとりひとりが違うからこそ面白い。

 

そんな風に、いつもその時だけの時間があるから面白い。

 

 

一冊の絵本が生み出し創り出す時間と場所と空間と。

 

 

絵本というひとつの鍵を持って、

いろんな世界の扉を開けていく。

 

 

その世界と世界の間には、ニジノ橋がかかるのだ。

 

 

そんな素敵な絵本屋さん。

 

 

ふらりちらりと行ってみてはいかがでしょう。

 

 

ニジノ絵本屋

http://nijinoehonya.com

世界はひとつの大家族。フェアトレードの美味しく優しいグラノーラ。

先週始めの大阪出張の際に出会った 

めちゃうまグラノーラのお話をしましょう。

あれはわたしの大阪出張が
決まった時のことでした。

ふと、Facebookを見ていると、
なんと宮崎在住の友人が。

期間限定で阪急百貨店でチョコレートを
売っているというではありませんか…!

ここはひとつ、
いきなり行ってびっくりさせようと
さも、まるでたまたま来たよな体で
ふらりと売り場にお邪魔したところ
あと少しで上がるところだったと。
無計画はこれだから…!と思いつつ
せっかくだからお話ししたいなあと
思っていたらば次に予定があるとは
またタイミングが悪いわたしです。

せっかくだからその少しの時間の間
めちゃうま素敵グラノーラ屋さんへ
行こうではないかと話がまとまって
一路ノスタルジック中崎町へ行き。

めちゃ味のある素敵リノベなお店の
中へ入ってみたら、そこにあったは
フェアトレードかつ安全安心素材の
めちゃうま素敵なグラノーラ…!!

ひとつひとつにしっかり素材の味。
とっても味わい深くて美味しくて。
優しく豊かな味わいが体に染みる、
素朴で濃厚ですごーく美味しくて。
こんなに素敵なものがあるなんて、
それを知れただけで嬉しくなって。

しかもお店の名前も素敵なら
その名前に込められた意味は
さらにさらに、素敵だった。


La Granda Familio とは、エスペラント語で「大家族」

全世界が大家族であることを思い出す。

全ての人が同じく踏みしめる大地の子供として本当の繋がりを思い出した時、今日経験している、今だけ、自分だけ、お金だけの勝者の幻想の幸福感から、全ての人がただ在りてあるそのままの幸福の只中が始まる。

そして、全ての命、この星、この宇宙を「La Granda Familio」ととらえた時、大宇宙の叡智の時代が始まる。それは、新たな試みでも、未知の領域でもなく私達の祖先の叡智だ。


(ホームページより抜粋)


美味しくって体にも地球にも優しいだけでなく。
そんな素敵なコンセプトの元作られるグラノーラ

大阪・中崎町だけでなく、
東京・青山でも買うことが出来ます。
どちらも遠い方は通販でも購入可能。

気になった方はぜひ、
こちらのホームページを
ご覧になってみてください。

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