心の景色の旅に出る。

こころふるえるだれかとの時間、そのものの中にあるだれかの想い、だれかの、じぶんのこころを旅したその軌跡を綴っています。

森 聖子 個展 〜円奏宇宙〜

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彼女が奏でるのは絵。

とても不思議な美しい。


そこに表現されているのは

円であり線であり点であり。

そして曼荼羅なのだけれど。


それでも、

奏でる、と。

表現したい。


彼女の絵は

海の音を奏で、

空の響きを聴き、

月の沈む音を鳴らす。


優しく、豊かに。

無音の空間の中で。


美しい、おんがくを奏でるのだ。


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円く、円く。

どこまでも。


波紋が広がるように。

波が打ち寄せるように。


光が拡散していくように。

どこまでも。どこまでも。


その人の宇宙の中へ。

その人の宇宙の外へ。


その絵の中に宇宙があり、

見る人の中に宇宙がある。


それらは共鳴し響き合い。

ひとつの宇宙の形を作る。


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それは観測者との一期一会。


奏でられる音はその人限りのもの。


同じものを見て、同じものは見えない。


その絵から受け取る印象もメッセージも。


誰ひとり、同じものは見ない。

誰ひとり、同じ音は聴かない。


必要な出会いを得るために、

ひとりひとりがここへ足を運ぶ。


小さな個展会場に、

並べられたいくつかの絵に。


わたしたちは何を見るのだろうか。


彼女が描く円の向こうに、

わたしたちは何を見つけるのか。

わたしたちは何を探し出すのか。


その時は何もないかもしれない。

けれど、何かを受け取っている。

その何かが花ひらく、時は来る。


彼女の絵は、ふ、と降りてくるもの。

彼女はただイメージを描き出すだけ。


そこには彼女の意思はなく。

そこには彼女の意思がある。


彼女は描くためにその体を捧げる。

彼女が仕える事は、絵を描くこと。

それが彼女に与えられた「仕事」。


彼女は、絵を描くことを通して

必要な人にメッセージを届ける。


それが彼女の生きる道なのだろう。


彼女を動かすもの。


彼女の使命とでも言うべきもの。


それが、これらの絵なのだろう。

 

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銀座に立ち寄られることがあれば。

もし心に澄んだ風を欲しているなら。


ぜひ、こちらに足を運んでみてください。


入場料は無料です。


会期:5月29日〜6月3日

時間:12:30〜19:30(最終日のみ17:00まで)

場所:GALLERY ART POINT

東京都 中央区銀座8-11-13 エリザベスビルB1


イベントページ

https://www.facebook.com/events/410154896022285/?ti=icl

「怒り」についての考察

先ほど。


ふわーっと道を歩いてて

ぶつかりそうになって

「前見て歩けボケ!」

と言われたわけですが。


彼女の心理はいかなるものか、

とふと考えてみたわけですよ。


(この前のコピーライター講座で心が動くことに

疑問を持ち、その理由を考えろと言われたので)

(そうでなくても日々考える人ではあるのですが)


全く面識のない人に対して

感情的に怒りを表すのは

心に余裕がないから、

というのがひとつ。


日々幸せで満ち足りていれば、

電車の中で足を踏まれようと

ちょっとぶつかられようと


「おおー」くらいで流せるわけで。

(その行為がその人にとって許せないものであれば別)


ほとんど電車の中だけでなのだけれど、

罵声を浴びせられたりすることもある。


そういう時にはわたしは一呼吸置いて

ああ、この人は日々疲れているんだなあと

思うようにしていますもちろんイラッとはするけど。


ただ、そうだとしても、

怒りが表現される時と

されない時があるはずで。


そこの違いは何だろうと考えた時、

それは怒りを表現した際の安全性、

であるのではないかなと思ったり。


自分に怒る権利または義務があると考えて、

相手が自分に対して抗することが出来ない、

もしくは怒りを表現しても許されるだろう、

と即座に判断できた時に自分の感情を表す。


つまり、感情的な怒りは自らにリスクがないと

状況判断がなされた時に発散されるのである。

怒りは感情だから抑えが利かないものではなく、

合理的かつ瞬時の判断のもとに行われるもの。


おそらくわたしが50代の強面の男性なら、

彼女は無防備に怒りを表さなかったはずで、

(個々人の評価レベルにより違いはあれど)

彼女がわたしを脅威でないと判断したから

怒りはそのまま抑えられることなく表された。


と、いうことなのだろう。


けれど、初対面のわたしが脅威でないなどと

どこで判断が出来るのだろうか、本当のところは。


外見だけでそうして判断して行動することは、

実はとてもリスクの高い決断かもしれないよなあ。


とここまで書けば、イライラはどーでもよくなる。

こうやって考えて文字起こしするのって精神安定剤


書くことって、浄化だよなあとも思ったのでした。

論語。古典は多くの真実を既に語ってる。

これを知る者は、これを好む者に如かず、

これを好む者は、これを楽しむ者に如かず

 

 

論語の一節なのですが。


それを知っているだけの人は、

それを好きな人にはかなわない。

それを好きなだけの人は、

それを楽しんでいる人にはかなわない。


という感じのことのようでして。


これって昨今よく言われていることで。


義務で仕事をしている時のパフォーマンスはとても低い。

好きで仕事をしている時のパフォーマンスも限られてる。

楽しくて夢中になって時間を忘れるほどにのめり込む時、

最高のパフォーマンスが発揮される。


それが出来る人が、これからの社会で生きていける。


今の世の中たくさんの本がブログがあふれてるけど。


真実はもうずーーーっと昔にわかってることで。

あとは社会がそれに追いつくことを待つばかり。


すべての解は古典の中にあるもので、

わたしたちはそれを繰り返し繰り返し

学び続けて進み続けてるだけなのかも。


たくさんの本もブログも温故知新というか、

既に知識にあることを、より深く腑に落とそう

とする試行錯誤の過程で結果なのかもしれないなあ。


人生は螺旋階段を登るようだと思っていたけど、

社会も螺旋階段を登り続けるようなものなのか。


昔の人って偉大だ。

積ん読してる正法眼蔵

頑張って読もうかな…。

 

 

うっかり本題から逸れました。

この論語の言葉にあるような感じで

仕事していきたいなあって改めて思ったのです。


素敵な言葉を教えてくれてありがとうございます。

向いている、ということ。

向いている、とは何か。

自分は何に向いていて、
何に向いていないのか。
その指標があるとしたら。

たとえばそれは、その物事に取り掛かった時に
「取り掛かる前に完成形が見えているかどうか」
ではないかという仮説が友人との会話で浮かぶ。

初めてそれを作る時、
取り掛かる前から既に、

撮るべき写真の画が明確にイメージできる。

料理がどんな味かどんな盛り付けかがわかる。

描く前にキャンバスに描きたい画が見えている。

メロディーが歌が楽譜に落として弾く前に流れる。

事業計画がまるで流れるように頭の中で構築される。

パワーポイントの完成形が映像で最後まで出来ている。

頭の中で完成形が出来上がっていて、
後は現実世界に落とし込むだけの状態。

運慶は彫る前に木の中に仏の眉や鼻が見えたという。

わたしたちの多くは木の中に仏が見えない。
だからやはり稀代の仏師は違うと感動するけれど。

木の中に仏の姿は見えなくても、
運慶ほどに美しい仏は見えなくても。
別の分野で自分の仏が見えるんじゃないか。

それが自分にとって「向いている」ことなんじゃないか。

とかそんなことを思ったのでした。
もちろんある程度の鍛錬を積まないと
見えないっていうこともあるだろうけど。

誰かと話している時にこそ、
色々なことが閃いて面白い。

そこで初めて自分はこんなことを考えていたのか、
と知れることもまた、誰かと話すことの醍醐味だ。

そしてどうでもいいよなことをつらつら考えるのも、
わたしにとっては凄く楽しくて面白い時間なのです。

西野亮廣独演会 in えりも ひとりの女子高生が起こした奇跡の物語。

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西野亮廣独演会 in えりも。


ボランティアスタッフの権利を買ったのは昨年の10月。


えりも町に住む

ひとりの女子高生が

人脈も何もないところから

想いひとつで立ち上げた

独演会を主催するための

クラウドファンディング。


独演会を主催するために必要なお金は30万円。

その他会場費移動費諸々で実際にはもっと必要だ。


しかも、場所は北海道はえりも町

空港からも遠く、電車も通っておらず、

お世辞にも交通の便が良いとは言えない場所。

しかもえりも町は人口5000人に満たない小さな町だ。


そんな場所で、200人を集めて独演会を主催する。


資金調達も集客も、無謀とも思える挑戦。


それでも彼女は挑戦した。

最初はまったく支援金が集まらず、

このままでは達成は無理かと思えた彼女は

すべてをさらけ出して自分の想いを熱を伝えた。


クラウドファンディング終了間際。

今までが嘘のように、次から次へと集まる支援金。


ただただまっすぐに熱を伝えた彼女の言葉に

心震えた多くの人が彼女の想いひとつにかけた。


驚くべきことに、

目標金額の倍以上を集めて

クラウドファンディングは終了。


資金を調達した彼女は独演会の開催の権利を購入。


それだけではなく、

彼女は前売り券200枚を売り切ったのだ。


彼女の想いに応えて、

全国からえりも町に集まる人たち。


参加するひとりひとりが

どこから来たのかはわからないけれど。


ボランティアスタッフの中には

車で4時間の距離を運転して来た人、

驚くべきことに福岡から来た人までいた。


ひとりひとりが、彼女の想いに心打たれて

このためだけにえりも町にやって来たのだ。


当日は10時から設営開始。

集まった人たちはとても優しくて穏やかで、

そしてひとりひとりが自分で考えて行動した。


こうしたらどうだろう、

ああしたらどうだろう、

これがいる、あれを作ろう。


ひとりひとりが自分からてきぱき動き、

あれよあれよと会場が出来上がっていく。


西野さんたちが到着し、

プロの手で最後の仕上げが行われ。


準備が終わってとうとう開場。

それからは、あっという間だった。

 

 

西野さんのトークにひたすら笑うお客さんたち。


受付をしていたわたしの耳にも、

途切れることなくお客さんの笑い声が届く。


テレビでももちろん見れる。

でも、生で聞くのは全然違う。


そのパワーも、熱量も、感動も。

その時間に受け取れるものすべてが。


そして何よりも。


彼のトークを、このえりも町で聞ける、ということ。

当時女子高生だった彼女が、資金を集めて集客して

そして今日この日、ここに西野亮廣さんがいること。


それがどれだけ奇跡的なことなのか。


東京や名古屋や大阪や福岡ではなく。

この、北海道の小さな漁師町に彼がいる。


生で、彼のトークを聞けるという非現実。

でも、今確かにここにそれが実現している。


それは、

不可能を可能にした、ということなのだ。


田舎だから、

子どもだから、

お金がないから、

経験がないから。


すべての言い訳を覆して、ここに実現したもの。


それが、きっと彼女がこのえりも町に届けたかったもの。


彼女だから出来たこと、

ではなくて。

誰もが可能性を持っている。

 

 

終演後、

みんなが笑顔で帰って行った。

たくさんの人が絵本を買って行った。

 

 

西野さんのトークにも、

たくさんの気付きがあったけれど。


西野さんの絵本の中にも、

たくさんの気付きがある。


子どもだけではなく、

大人も読んで涙して、

そして次への一歩を

踏み出せると、いい。

 

彼はは笑いに乗せて、

絵本の物語に乗せて、

たくさんの勇気を希望をくれる。


絵本に出てくるひとりひとりはわたしたちで。

絵本に出てくるひとりひとりが教えてくれる。


自分がどう思っているのか、どう感じているのか。

何をやりたくて何をやりたくなくて、どうしたいのか。


物語を読んでいくうちに、

自分の物語が紐解かれて行くような。


絵本を読んで感動して涙して。

物語そのものを楽しむことも出来るけれど。


その感動と涙の先に、自分の物語が続いていく。


この日の数時間の笑いと感動を、

ただ面白かったね楽しかったねだけで

この日のすべてを消化してしまうのではなく、


この日の、絵本の感動を胸に、

一歩でも半歩でも自分の道を進む人が現れたなら。


それは本当に本当に素晴らしいことだと思う。


それはもちろんわたし自身にも言えることで。

 

 

これを書きながらも、改めて自分を省みる。

 

 

たとえ世の中のすべてから

否定され批判され弾かれたとしても。


自分が本当にやりたいことは何だろうか。


やりたいことがあるなら何故一歩を踏み出せないのか。

 

 

ちょうど、色々見失っていたこの時に、

ここに来てこうして改めて彼女の成し遂げたことを

感じることが出来たことそのものが、ギフトだった。

 

 

このタイミングで

ここに来れた幸福に、

この日の巡り合わせに、

ただただ、感謝します。

 

 

ありがとうございます。

 

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独演会中は写真が撮れなかったので、

終演後のショットと、美しき襟裳岬を。

 

 

帰る道すがらの海岸線の景色もとても美しかった。


写真ではなにひとつうまく伝えられないのが悔しい。


本当に、素敵な町、素敵な時間でした。

 

 

2017.4.29. 北海道えりも町にて


「感字」漢字の意味を形を生かして絵に仕上げる。現代版象形文字の世界。

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(鴛鴦)


さて、ここにある絵を見て欲しい。


よーく、よーく、見て欲しい。


例えば右の下あたりとか。


そう。これは漢字を絵にしたもの。


ぱっと見は単なる黒のマジックで描いた単色画。

なんの面白みも目新しさもないようなその絵が。


実は漢字が元になっているなんて。

 

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(達磨)

 

なんとなくふらりと見に行って。


なんとなくじっと見つめてみて。


あっ、これは!って

気付けた時のカタルシスが半端ない。


それからは絵を前に、

その中に隠された漢字探しに没頭する。


ぱっと見、シャープでいい絵だな、


じっと見、こういう描き方をするのか!と感動。

 

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(靴)

 

いやー、これは面白い。

漢字を使って絵を描くというのは見たことがあるけれど。


漢字そのものをアートにするのは初めて見た。

しかも、きちんと漢字の意味を活かした絵になってる。


題名の漢字が目の前の絵のどの部分になっているのかを、


あーだこーだと探して見つけるその時間も面白い。

これを見たみなさまもぜひ。

 

 

あれもこれもとたくさん見せてもらって。

まるで宝物を探してるみたいな時間を過ごせました。


とっても楽しくて面白くてワクワクする時間を、ありがとうございます。

 

 

「感字4桁ゾロ目祭」(1111枚達成記念)

期間:4/24(月)~26(水)

時間:11:00〜20:00

場所:原宿デザインフェスタギャラリー(1-G)

http://www.designfestagallery.com/about/access


過去の展示の様子

http://designfestagallery-diary.blogspot.jp/2016/08/ist.html?m=1

「めす展」捕食されているのか捕食させているのか。果実と女性と生と性。

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(不快と感じられる表現がありますのでご注意ください)

 

 

割れた果実の瑞々しい断面。

生々しく滴り落ちるそれに、


どこか、いのちの淫靡さを感じたことはないか。


果実は、おしべとめしべが織り成すいのちの結晶。


受精し肉を纏い形を成す、割れたそこから臓器が見える。


それは、まるで命宿るものの中を暴いたようで。


可愛らしく美味しくわたしたちを幸せにしてくれる果実。


トロピカルにファンシーに装いわたしたちを楽しませる。


どの果実も鮮やかで美しく夢のような姿で待ってくれる。


けれど、それは捕食されるため。

食べられ血と肉となり代償として次代の命を繋ぐ。


消費されるが果実のさだめ。


美しさと、可愛さと、鮮やかさ。

消費されるために、捕食されるために。


それは、女という性もそうではないか。


美しく可愛らしく彩り食べられるのを待つ。

より見つけてもらいやすく、より捕食されやすく。


それは次代への命を紡ぐために。


捕食されるための果実をばら撒かれる女性たち。


美しく可愛らしい彼女たちの肌を潰れた果実が彩る。


果実は彼女たち自身であり、彼女たちの未来の姿だ。


可愛い金柑。慎ましやかなブルーベリー、美しい苺。


すべてはまるごと食べられ誰かの血肉となってゆく。


それが果実のさだめ、性のさだめ、いのちのさだめ。

 

 

その、果実の断面から。


彼女たちと果実たちから。

 

わたしたちは抗えない生と性を見る。

  

  

「めす展」

期間:4/23(日)〜25(火)※明日まで!

時間:11:00〜18:30まで

場所:デザインフェスタギャラリー WEST 2-C(原宿)

http://www.designfestagallery.com/about/access